■第六回■
サンクチュアリ(史村翔・池上遼一)

『行こう…。10年先の日本のために…』

【作品概説】
  カンボジアの地獄を共に乗り越えてきた北条彰(ほうじょうあきら)と浅見千秋(あさみちあき)。二人が祖国で彼らが目にしたものは「生きる」ということを真剣に考えない日本人の姿だった。そんな日本を変えるため、二人は立ち上がった。浅見は表の世界で日本を変えるために政治家に、北条はそんな浅見を支えるために極道の世界へと足を踏み入れる。「サンクチュアリ」を目指す男達の、熱い生き様がここにある。
【所感】
 現代日本は「何となく」で生活できてしまう状況(注1)にある。そんな中で生きることの意味をあまり考えなくなっている人が多いのではないだろうか。そんな我々に喝を入れてくれるのがこの作品なのだ。
 北条と浅見はそれぞれ、極道、政治という苛烈な世界に身を投じ、私利私欲もなく命懸けで走り続ける。10年先の日本を考える彼らの台詞や行動は読む者の胸の内に熱いものを呼び起こすだろう。彼らはまさに「男が惚れる男」なのだ。そんな魅力的な登場人物に加え、ストーリー展開も目が離せない。表の世界では浅見が代議士となり、大政党・民自党(注2)へと挑む。裏の世界では北条が全国の極道組織の統一を目指す。様々な野心や謀略が絡み合う世界での男達の戦いが熱く描かれている。中でも追い詰めたと思う度に切り札を出してくる伊佐岡(注3)とのやり取りは素晴らしいの一言に尽きる。『男は政治と戦争の話が大好きだ』と言った人がいるが、そんなエッセンスが詰まっている作品なのである。また、憲法改正のための国民投票によって人々の目を政治に向けさせようとしたり、極道が表舞台へ出るための一つの方法を示したりと面白いアイディア(注4)も多い。一度読み始めたら駆け抜けるように読んでしまう作品である。
 ラストにおいて、浅見は病により命を落としてしまう。だが彼と北条が示した道によって日本はきっとよりよい道へと進んで行くことだろう。願わくば現実の日本もそうならんことを…。(2005年4月14日)

(注1)普通に就職しなくてもアルバイトだけでも生活できてしまうし、政治や国際社会に無関心でも何とかなってしまう(実際には何とかなっていないのだが)。「働いたら負けかな、と思っている」なんて言葉が出てくるのもそんな状況を表しているのかもしれない。
(注2)正式名称は民主自由党。もちろんモデルはあの政党。ちょっと前の作品なので、この政党による一党独裁体制が続いている。しかし『民自党』がでてくる作品って、いくつあるんだろう…。
(注3)民自党の幹事長。最初は嫌いだったが、彼と市島がかつて浅見・北条と同様のことを考え、ここまで来たということが明らかになった時、伊佐岡にも感情移入するようになっていた。
(注4)その他にも首相公選制など現実でも参考になりそうなアイディアも少なくない。

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