■第十五回■
勝利の朝(塀内夏子)

『司法の場で、罪なき者が裁かれる事は、
  断じてあってはならないんだよ。』

【作品概説】
 昭和63年10月。埼玉県のある市営団地で一人暮らしの老婆が殺害され、現金約三万円が奪われた。4ヶ月後、犯人として三人の少年が逮捕される。一度は犯行を自白した少年達だったが、信頼できる弁護士に出会い、自白を撤回。吉池をはじめとする少年事件専門の弁護士達と共に警察に立ち向かうことを決意する。これは冤罪に立ち向かう裁判官と少年達の物語である。
【所感】
 確か、この作品はヤングサンデーに短期集中連載されたものだったと思う。先日、古本屋でたまたま発見して購入したものである。当時も良い作品だと思っていたが、改めて読み直してもやっぱり良いと思う。
 まず読んで感じるのは、警察のやり方のメチャクチャさ。『本当にこんなことあるの?』と思ってしまう人も多いだろうが、実際にこれと同様、あるいは近いことというのは様々な事件の取調べで行われていたらしい(注1)。こんな風にされればやっていなくても『やった』と言ってしまいそうな気がする。まして少年ならなおさらである。この作品が雑誌に掲載された当時は、事件の流れをドキドキしながら追っていくだけだったが、今、読み返してみると、登場人物達の心が上手く描かれている。少年達が心に抱えた悩み。弁護士との触れ合い。そして少年達が強い意思を持って裁判に臨む様は心を熱くさせる。最後には少年達は無罪を勝ち取るのだが、この作品はただのハッピーエンドとして終わらせてはいない。警察のマスコミへの対応(注2)、被害者遺族の叫び(注3)、担当刑事のボヤキ(注4)…。冤罪はその容疑をかけられた者だけでなく様々な問題を孕んでいることも描いている。吉池弁護士の『警察が自らのあやまちを認めようとしない限り、冤罪は、……またおこるな』という言葉が重く胸に響く。警察関係者の各事件への対応はもちろんだが、一般の人間も冤罪についてよく知ることが大切だと思う。この作品はそのためにも最適な一冊であると感じる。(2005年8月17日)

(注1)以前、サークル活動の一環で冤罪について調べたことがあるが、警察の取調べというのは本当にひどいらしい。もちろん全部が全部、そうではないだろうが…。
(注2)マスコミへは『捜査は適性かつ綿密に行われ』、『少年三人が犯人であることは、まちがいないと確信している』と発表している。これでは当事者以外は以外は、彼らをまだ疑ってしまうだろう。
(注3)『オフクロを殺した犯人はちゃんと捜してくれるんでしょうね!?』という被害者遺族の言葉が表すとおり、真犯人はどこかで無事に過ごしているのである。これこそが冤罪事件の抱える大問題だと思う。
(注4)『こんなことはたまたまだ、めったにないよ。俺達は悪かない』という意識がある限り、冤罪はなくならないのではないかと感じてしまう。

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