■第二十八回■
墨攻(森秀樹・酒見賢一)

墨家とは
 平等に人を愛する兼愛と非戦論とを唱えた思想家・墨子の志を継ぎ、
 ほとんど無報酬で他人に奉仕し、城邑防衛戦に命を賭けた教団である。

【作品概説】
 中国・戦国時代−趙軍に攻め込まれようとしている小国・梁へ、『非攻』と『兼愛』を説く墨子教団の革離(かくり)が派遣されてきた。しかし迫り来る趙の大軍勢に対し梁にはわずかの兵士しかおらず、城主も民も革離に非協力的である。だがそれでも革離は梁城を守ろうとする。そんな姿を見て民達も次第に心を開いくようになる。

【所感】
 『後宮物語』(注1)で知られる酒見賢一の原作を漫画化したもの。墨子教団というのは諸子百家の一つとして実在したものだが、この小説は歴史的事実ではなく創作のようだ。なお、この作品は映画化もされている。
 この作品は原作も面白いが、漫画も面白い。原作では革離は死んでしまうが、漫画化された際に話を膨らませてある。本来、思想集団であったはずの墨子教団がその教義を離れて現実的な集団へと変わっていくが、革離はそれを良しとせずに教団を離れて闘うという新たなテーマも加わっている。
 ハゲたヒゲづらのオッサンが主人公の漫画なんて他では見たことはないが、この革離の風体はある種のカッコ良さがある。そう思うのはきっと、革離の人格、生き方によるものだろう。革離が救援に行く先々は不利な状況である場合が多いため、職業軍人はない一般の農民たちも闘うことになる。もちろん農民は嫌がるが、革離は彼らの立場に立った説得と自らの行動によって彼らの心を掴んでいく。それも戦争を決して肯定せずに。そんな革離と民達の様子は胸に迫るものがある。
 敵方の先方や不利な状況をひっくり返してしまう革離の戦術などには惹きつけられてしまい早く続きを読みたくなってしまうほどのものであるが、引き込まれるまでに迫力のある画力(注2)によって描かれた戦争の描写は、非常にグロテスクでもある。革離の言葉と相まって戦争の醜さを読者に突きつけているかのようだ。
 戦争を嫌い、否定するが、戦争の中でしか生きられず、次々と戦場を渡り歩くく革離。しかし、彼は最後にはついに平和を手にする。そして親友に託された稲の中で雲荊と再会するシーンは実に感動的である。(2006年2月18日)

(注1)第1回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。『雲のように風のように』というタイトルでアニメ化もされた。
(注2)以前はいかにも漫画な絵を描いていたが、『青空しょって』の中盤あたりから絵柄が変わり、同作の終盤には初期の頃とは同じ作者とは思えないいような絵になっていた。おそらくこれは、同作において実在のゴルファーを描くようになったことがきっかけと思われる。

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