外伝2:安倍清晴 「虚飾の日々」

(1)

俺の名は安倍清晴。京都大学二年生、二十歳。つまり現役合格ということだ。一応、ここは日本でもトップクラスの大学と言われているが、俺にはとてもそうは思えない。レベルの低い講義、それさえも疎かな学生、そしてその事に対して何も言わない教授達…。もっとも大学生にもなって人に頼るようでは、先が見えているだろうが。ともかく俺は中・高六年間の成果がこれかと思うとやり切れない気持ちになってくる。他の人もそうなのかもしれないな。学校に来ない奴はほかのことを見つけてそれに没頭しているのだろうか。でも俺は何もないから、今日もこうして授業に出ているという訳だ。で、教室を見回してみるといるわいるわ、クズ共が。居眠りをしている者、本を読んでいる者、落書きをしている者、別の授業の予習をしている者、人の迷惑顧みずおしゃべりする者。携帯電話で話をしている者までいる。お前ら授業に出てるなら、もう少しどうにかしろよ。こういう奴らが外で『俺、京大生なんだぜ』などと触れ回っているかと思うとムカムカしてくる。全員一列に並べて修正してやりたくなるぐらいだ。俺はこんな奴らみたいな終わり方はしない。なってたまるものか。
 今日もまたストレスを溜め込む授業が終わった。午後の日差しが強く目を刺激する。こういう日はサングラスがないと、とても目を開けていられない。不必要に肌も焼ける。だから俺は春頃から屋外ではサングラスをかけて、日光を反射するように白いシャツを着て、時計焼けをしないように懐中時計を持つようになる。校舎を出ると遅めの昼食をとっている人々が視界に入る。晴れている日はなぜか外で食事をする者が多い。わざわざ埃っぽい屋外でものを食べるなんて正気の沙汰とは思えない。俺はそんな奴らを尻目にキャンパスを出た。そして駐車場に向かって歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「安倍君、今日の授業はもう終り?」
「ああ」
「何か、この後、用事とかある」
「いや、帰るだけだ」
「じゃあさ、これから皆でカラオケに行くんだけど、一緒にどう」
 この女は川瀬舞奈。確か語学の授業で一緒だったか。そのほかにも同じ講義を取っているかもしれない。だが、お互い顔を知っているという程度で、特別親しい訳でもない。親しくなりたいとも思わない。他の男どもにはその外見のせいで人気があるようだが、俺はこんなどこの国の人間だか分からないような真っ茶色の髪の毛で、病気かと思うような唇真っ赤のいかにも頭カラッポの女なんかに興味はない。だいたいなぜ学校に来るのにあんなに胸元の開いた服と短いスカートを着てコンクリートに突き刺さりそうなヒールを履く必要があるんだ。よくこの学校に入学できたものだ。これはきっと俺にとって永遠に解けない謎の一つだろう。それはともかく、この女に対してこのような感情を抱いているわけだから、俺の返事は決まっていた。
「いや、俺はいいよ」
「そう、残念。それじゃ、また今度ね」
 彼女は向こうで待っていると思しき一団の方へ駆けて行った。
「川瀬さん、どうしてあんな奴、誘ったの?」
「そうだよな。あいつ、なんだかつまんねえ奴だもんな」
「授業中とかよ、すげえ真面目に聞いてんの。なんかやだね。イヤミっぽいよ」
 聞こえてるぞ、バカ。まあ、お前らに何言われたって気にならないけどな。どこへなりともさっさと行けばいいさ。
 こういう訳で俺には友達が少ない。その代わり本当に友人と呼べる人間には、徹底して誠意を尽くして付き合う。あいつらみたいなニセモノ友情ゴッコとはわけが違うんだ。そんな友達の中でも、一番の親友は須山だろう。一番と言っても、友達にランクをつけているのではない。ここで言うのは付き合いが一番長いということだ。須山とは中・高一緒で、成績も同じくらい。ほんの少しだけ俺の方が上だった。もっとも、理系の科目では一度もかなわなかったが。多少頑固な所もあったが、自分の考え方をしっかりと持っていて、人間性も確かだった。お互いに他の人には言えないことを話し合ったりもした。ありふれた言い方をするなら、親友でありライバルであった。あった、というのは須山は今、京都にいないからだ。何でも医者になるとかで、東大に行ってしまった。その昔、事故にあった時に医者に命を救われて、以来、医者を目指しているらしい。で、その人が東大の出身だから自分も東大に行くという話だ。非常にありふれた話だが、それだけに納得のいく理由でもある。あいつにはそういう志があったから、成績は俺の方が上でも何だか負けている気がした。志を持っているっていうだけのやつなら五万といるだろう。しかしあいつはそれを叶えるためのあらゆる努力を惜しまなかった。そういう姿を見て来たから心から凄い奴だと言える。そういえば去年は夏休みと正月に戻って来ただけだった。今度会えるのは次の夏休み、あと一、二ヶ月ぐらい先だろうか。須山の他に友達と呼べる奴らもいたが、全員、東京の大学に行ってしまった。どうして大学と言うと東京なんだ。湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、福井謙一…。優れたノーベル賞受賞者はみんな京都で学んだ人達ではないか。そんなことは関係ないのだろう。東京の大学に行くのは遊びが目的の人がほとんどだ。須山のように目的を持って行く人間なんていうのは、きっとほんの一部だろう。俺だって京大に通っているのは目的があったからじゃない。ただ単に近かったからだ。
 そんな事を考えているうちにいつもの駐車場に着いた。俺は車に乗り込み、キーを回した。日産シルビア・ヴァリエッタ。大学の入学祝にと親父が買ってくれた車だが、俺は嫌いだ。親父には悪いが。そもそも俺はオープンカーが嫌いなんだ。車というものは、外界とは完全に遮断された密閉空間でなければならない。だが、オープンカーはこの要件を満たしてはいない。それどころか真っ向から反するものだ。しかも、俺は一度も使ったことはないが、この車は幌が電動で二十秒ほどで閉まるらしい。閉めることを前提にしたオープンカー。最悪だ。おまけにクローズドボディーがベースであるため、通常のシルビアよりも130キログラムほど重い。そのくせ、NA車だ。まさに格好だけ。多分、世界で一番、俺が嫌いな車だろう。
家に着いた俺はポストから夕刊を取り出すと家に入った。仲間内で京都に残ったのは俺だけだから、大学に入ってからは一人で過ごすことが多くなった。何かサークルにでも入ろうかと思ったが、酒と異性の事しか考えていない輩の集まりばかりだったので、うんざりしてやめた。そういう奴らと関わりを持つくらいなら、家に一人でいた方が落ち着く。普段、家には俺のほかには誰もいない。親父は当然、仕事。あまり人には言えない仕事をしている。と言っても後ろ暗い所がある訳じゃない。政府に関連したことで、表だって行動しない類いのものだ。お袋は近所付き合い。連日隣近所の家に行ってお茶会をしている。イギリス人じゃあるまいし。姉貴は結婚して今は福岡にいる。旦那は某デパートの役員だとか。あまり会ったことはないが、なんだか世間知らずのおぼっちゃんに見えた。でもまだ二十六なのに役員だってんだから、それなりに能力はあるんだろう。コネかもしれないが。まあそんなわけで、一人でいることは俺にとって自然なことだし、別に苦にもならない。いつも通り本を読んでいると電話が鳴った。面倒だが読むのを中断して受話器を取った。
「はい、安倍ですがどちら様ですか」
すると受話器の向こうから太い声が帰ってきた。
「おう、安倍か。俺だ、沢登だ」
 沢登正。同じ学科の中でも、こいつは他の奴らとは違う。俺の中では、できる男、という範疇に入る。
「今、暇だろう。ちょっと俺に付き合えよ」
 こういう強引な性格だから友達とは考えていないが。
「京都駅の近くのL・E・Oっていう喫茶店で待ってるから」
 それだけ言うと電話は切れてしまった。あの男は必ず俺が来ると思っている。それも俺のことを信じているからではなくて、自分に自信があるからだ。それでも行ってしまうのは俺がお人好しなのか。ゆるゆると身支度を整えていると、再び電話が鳴った。また沢登かと思って受話器を取ってみると、若い女の声がした。
「安倍さんのお宅でしょうか」
「そうです」
「清晴さんはいらっしゃいますか」
「私ですけど」
 聞き馴れない女の声で、しかも俺が分からない。となると大体その電話は何の用か分かる。
「清晴さんは京都大学に通学なさっていらっしゃいますよね?」
「ええ、そうですが」
「実は今日は清晴さんによい知らせをお伝えにお電話させていただきました」
 そこで相手の話を遮った。
「あ、ちょっと待ってください」
 俺は保留ボタンを押し、受話器を置いてそのまま家を出た。やはりこの手に限る。今まで何度かこういう電話はあったが、こうすると大抵はあきらめる。今までの記録は三十二分だったか。よく我慢したものだ。まあ、俺が帰って来るまで待っていたら話くらいは聞いてやるか。どうせ待ってなどいないだろうが。

 電車を降りて沢登の指定した喫茶店を探した。L・E・O。ここだろう。俺はドアを開けて入って行った。沢登は窓際の席でパフェを食べていた。そういえば奴は甘いものが大好きだった。俺はその席へ行き、奴の正面に座った。それを待ち構えていたかのように、すぐにウェイトレスが寄って来た。
「御注文は?」
「キリマンジャロ」
「かしこまりました」
 にこにことしてやけに愛想のいいウェイトレスは水とおしぼりを置いて去った。
「で、何の用だ?」
 沢登はいつものように屈託のない笑顔で答えた。
「実は頼みがあるんだ」
 沢登はパフェを食べる手を休めて言った。大の男がパフェなんて、などと気にしないのがこいつの良いところだ。俺はポケットから煙草を取り出し、口にくわえて火を点けた。銘柄は『峰』と決めている。それには理由がある。以前は特に銘柄を気にせず、自動販売機の端から順に買って吸っていた。ある時その『峰』を吸っていたら同じ学科の奴に、
「『峰』?おっさんくせぇ」
と言われた。癪に障ったのでそれ以来、意地でも『峰』以外は吸わないことに決めた。実際、吸っている煙草の銘柄でとやかく言う人間もいる。嗜好品と言うぐらいだから、その個人の自由だと思うのだが。俺はあえて煙草の箱をテーブルの上に置いて沢登がどういう反応をするか確かめてみた。すると奴は言った。
「煙草なんて体に悪いぞ。やめとけやめとけ。それよりも若いうちは体を鍛えるべきだ。お前、背は高いのにひょろひょろじゃないか。スポーツはいいぞ、スポーツをやれ」
 そういえば沢登は柔道をやっていた。そういうスポーツマンにとっては煙草なんてものは百害あって一理なしという訳か。でも生憎だが俺はもうスポーツなんてやる気はない。無論、煙草もやめる気はない。だから俺はいつも通りの決まった答えを返した。
「俺はもう二十歳だ。煙草を吸おうが吸うまいが他人にとやかく言われる筋合いはない。犯罪を犯している訳でもないしな」
「お前、誕生日はいつだ?」
「五月七日だが」
「とても吸い始めてから一ヶ月には見えないぞ」
 相変わらず鋭い奴だ。
「それより、頼みってのは?」
「その前にちょっと聞きたいんだが、…お前、恋人とか、いるか?」
「いや、別にいないが」
「そうか」
「それが何か、関係あるのか?」
 ちょうどその時、先ほどのウェイトレスが注文の品を持ってやってきた。
「失礼します」
 丁寧にカップを俺の目の前に置くと伝票を伏せてテーブルに置き、一歩後ろに下がって頭を下げて言った。
「どうぞごゆっくり」
 高校生くらいだろうか。最近では珍しくきちんとしたウェイトレスだ。バイトの高校生なんてのは、仕事をなめているのか知らないが、いい加減なのが多い。遅刻や無断欠勤なんてお手のもの。接客態度がなってない者も多い。ここぐらいの規模の店では特に、だ。だからこんなふうにちゃんとできる娘を見ると何だか嬉しくなる。俺は感心してそのウェイトレスが去って行くのを眺めていた。すると沢登が冷やかした。
「お前はああいうのが好みなのか」
「馬鹿、そんなんじゃない。ちょっと感心しただけだ」
「ああ、なるほどね」
 沢登は俺が多くを語らずとも分かったようだ。こういう人間がもっといれば余計なストレスを溜めずに済むのに。
「で、俺に女がいないからどうしたというんだ」
「実はな、ある女性に贈り物をしようと思うんだが、女の人はどういうものをもらうと嬉しいものなのかと思ってな」
「高いもの」
「あのなあ」
 沢登は呆れ顔だ。
「冗談だ。そんなの、俺じゃなくて本人に聞けばいいだろう」
「それができないから聞いているんだ」
 全くこいつは、どうしてそういう話の相手に俺を選んだんだろう。
「お前ならこういうことになれているかと思ってな」
 なんという見当違い。完全な人選ミスだ。
「女はいないと言っただろう」
「今は、だろう。お前は背も高いし、顔も悪くない。頭だっていい。それなりの経験はあるんだろう」
 確かに、経験がない訳ではない。しかしそれだって、人に話すほどのものではない。あまりいい思い出ではないしな。
「やっぱり、分からないか」
 俺が黙ってしまうと、がっかりしたような顔で沢登は俺を見た。しかしここで何の助言もないのも気の毒だ。
「まあ、花をもらって喜ばない女はいないって言うな。ありふれてはいるが、な」
「そうか、花か」
 沢登の表情はあからさまに明るくなった。
「で、どんな花がいい?」
「そこから先はお前が考えることだろう」
「…そうだな。ありがとう。参考になった」
 沢登の話はそれだけだった。俺たちは喫茶店を出ると別れを告げ、それぞれ別の方角へと歩き出した。そのまま家に帰るのも芸がないので、CDショップに寄ることにした。

仕事帰りの人が多い時間だったので、店の中はいっぱいだった。しかし俺が向かったクラシックのコーナーは閑散としていて、CDを物色している人間に通路を塞がれることもなかった。大抵の客は「ロック・ポップス」というコーナーにいる。本当に良いと思って聞いているのか、流行だから聞いているのかは分からないが、少なくとも俺はああいったものには興味がない。昼間、カラオケに行くとか言っていた連中はあんなのばっかり聞いているんだろうな。まあ、他人のことはどうでもいい。俺はいつもどおり、ヴァイオリン曲を探し始めた。目当てはパガニーニ。クラシックの中でもヴァイオリン曲が特に好きだが、中でもパガニーニは特別だ。作曲だけではなく、『ヴァイオリンの魔術師』と呼ばれたほどの演奏家でもあった。二重フラジオレット、左手のピチカート、急速なスタッカート、変化に富んだボウイング……。当時としては画期的な奏法をいくつも考案し、曲もそれらを駆使して演奏するものを作った。今までに何度か聞く機会はあったが、自分でCDは持っていなかった。というのも、家から近くの店にはどこにも置いていなかったからである。だからちょっと家から離れた所へ出かけるたびに探すことにしている。
端から順にCDを見ていく。どれもこれもジャケットはすっかり日にやけている。最近の日本人でクラシックを聞く人間なんてあまりいないから、この棚の商品もずっと動かないのだろう。もしかしたらこの店の開店当初から置いてあるのかもしれない。しかし大きな店だけあって数は豊富だ。もしかしたら期待できるかもしれない。俺は目を皿のようにして棚を見つめていた。しかし目的の物はどこにも見当たらなかった。がっかりして帰ろうかと思ったちょうどその時、
「安倍君」
 いきなり後ろから声をかけられたので、驚いて俺は振り返った。そこには川瀬舞奈がいた。
「安倍君って、クラシックなんか聞くんだ」
 クラシックなんか?ふん、あんたのような人間にはそうだろよ。そう思ったが、敢えて声には出さなかった。その代わり、黙っていた。
「何か探しているの?」
「別に…」
 その時、彼女が手に何かのCDを持っていることに気が付いた。この女はどんなものを聞くんだ?興味半分で彼女の持っているCDをちらりと見た。『24のカプリース 作品1』、…パガニーニ!
「それは?」
 俺は平静を崩さぬよう、静かに聞いた。彼女もまた、静かな表情だった。
「これ?パガニーニっていう人の曲なんだけど、知ってるの?」
 知っているどころの騒ぎではない。まさにそれこそが俺が求めていた物だ。しかし俺はそれでも平静を装った。
「ああ、まあね」
「わたしね、本当はこういう曲の方が好きなの。皆に誘われてカラオケには行ったんだけど、ああいう歌って、全然知らないのよ。だから途中で抜けてきちゃった」
 そんなことは聞いていない。あんたはそれを買うのか?買わないのなら俺に譲ってくれ。そう言いたかった。だが、もちろん言わなかった。彼女は俺の心が別にあることも知らず、一方的に話を続けている。ここは店だ。買うものが決まったのなら、おしゃべりをしていないでさっさと買って出て行くべきだ。いや、できればそれは買わないで出て行ってもらいたい。そう思ったが、そんなことは言えるはずもなく、口から出たのは別の言葉だった。
「欲しい物がなかったから、俺はもう行くよ」
 彼女は話の途中でいきなりそう言われても全く気にする様子もなかった。俺は一応、別れの挨拶をして店を出た。仕事帰りの人波に逆らって駅の方へと歩いていると、後ろから走ってくるような足音が聞こえる。俺は振り向いてそっちを見た。川瀬舞奈だ。
「待ってよ、安倍君」
 息を切らせながら走って来る。急いで会計を済ませ、追って来たのか。こういう時は待つべきなのだろう。仕方がないので、俺は立ち止まったまま待った。自分から彼女の方へ歩いていこうなどとは思わない。そこまでする義理はない。高いヒールで走りづらいのか、途中、何度か転びそうになりながら俺の元にたどり着いた彼女は、呼吸を整えながら言った。
「ね、せっかくだから、どこかでお茶しない?」
 何が『せっかく』なのだ?しかも『お茶』は『飲む』ものであって『する』ものではない。やっぱり俺はこの女とは馴染まない。だからこの時もいつもと同じように答えた。
「いや、もう帰るから」
「えー。ちょっとだけだから」
 俺を誘うなんて、よっぽど暇なのか。それともただの気まぐれか。それなら俺も、気まぐれを起こしてみるか。
「わかった、少しだけなら」
 こうして俺達は喫茶店に行くことになった。彼女が入ろうとした店は、先ほど沢登と待ち合わせをしたところだったので、俺は別のところにしようと言った。彼女は別に反対することもなかったので、そこから5分ばかり離れたところにある喫茶店に入った。
「私はアップルティー。安倍君は?」
 俺もあんたもウェイターやウェイトレスではない。あんたが俺に注文を言う必要もないし、その逆もまた無意味なことだ。俺はウェイトレスを呼ぶとブルーマウンテンを注文した。

 特に話すこともかったので、俺は何も話さなかった。その代わり、沢登のことを考えていた。あいつが贈り物をしたがる女性とはどんな人物なのか、ちょっとばかり興味があった。年上か年下か、それとも同い年か。どこでどう、知り合ったのか。そもそも俺が知っている人間なのか。そんなことを考えていると、沈黙に堪えかねたのか川瀬舞奈はしゃべり始めた。
「ね、安倍君ってどんな曲が好きなの?」
 真面目に答えるのも面倒臭かったので、俺は適当に答えた。
「別に、何でも聞く」
 俺の答えは彼女を満足させるようなものではなかったらしく、また、彼女もこれ以上この話題で話を続けることも難しいと感じたようで、話題を転換してきた。
「休みの日って、何してるの?」
 別になんでもいいだろう。そんなことをあんたに詮索される覚えはない。もちろん俺は真面目には答えなかった。
「特に決まってはいない」
「そう」
 また会話が途切れた。つくづく俺は話をするのに向かない人間なのだろう。その後も彼女はほとんど一方的にしゃべっていたが、俺は上の空で適当に相槌を打っているだけであった。やはり気まぐれなどは起こすべきではなかったかもしれない。話を聞き流しながら相槌を打っているのにも嫌気がさしてきたので、俺は時計を見て言った。
「もうそろそろ、行かなきゃならない」
「そう、残念」
 本当はホッとしているくせに。そもそも俺を誘ったのが間違いなのだ。会計は一応、俺が払った。彼女はお礼を言うと、
「じゃあ、またね」
と言って去って行った。『また』があるのか?御免だね。そんなことを考えてから、俺は駅へと向かった。

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