第一章 転送−濁流に呑まれる若き狼

第三話 金髪の男

 翔は伸びきった草を掻き分けて、虫に刺されながら森の中へと入って行った。庭から森の中へ入ってしまえば足元の雑草はそれほどひどくはなく、同時に虫もいなくなっていた。翔は声がしたと思われる方向へと急ぎ足で進んで行った。
(確か、こっちの方から聞こえた。南雲か海老名ならありがたいんだが。まあ、そう都合よくはいかないだろうけど)
 しばらく歩いて行くと、木にもたれかかるようにして座っている人影があった。近寄ってよく見ると、その人物は金髪で白い服を着ていて、短めの赤いマントを羽織っていた。腰には宝石で装飾された短剣を帯びている。そのいでたちからすると、金髪であるとはいえ南雲ではなさそうだった。だからといってこんな森の中で木にもたれている者を放って行ける訳がなかった。
「おい」
 相手の返事はなかった。今度は肩に手を掛けて揺さぶってみた。
「おい、聞こえないのか」
「う…。あ…、あ?」
 起こした顔を見て翔ははっとした。まだ若く、整った顔立ちをしてはいたものの、その顔はやつれ、落ち窪んだ目は虚ろで、肌もいやにカサカサとしていた。その男は翔の姿を認めたようだが、すぐに白目を剥いて意識を失った。
(なんだこの男、麻薬中毒か)
 翔はその男を横に寝かせてよく観察した。手足には縄で縛られた跡があり、顔には鋭利な刃物でつけたと思われる切り傷がある。
(誰かに捕らえられて逃げられないようにクスリ漬けにされたんだろう。ひどいことを・・・。なんとかしてやらなきゃな)
 その男を背負って歩こうとした時、後ろから声がした。
「おい、テメェ。ちょっと待ちな。そいつをどこに連れて行く気だ?」
 振り返ると、そこには右目が潰れて頬に大きな傷がある、色黒で小柄な男がいた。翔はその男をキッと睨んで言った。
「貴様か、この男をこんなにしたのは」
「うるっせぇ。オメェにはかんけぇねえんだヨ。ガタガタ言わねえで、そいつを置いてとっとと消えな」
 関われば厄介なことになりそうなことは分かっていた。しかし放っておく訳にはいかない。翔は意を決して男を睨み据えて叫んだ。
「断る。早く何とかしないと、この男の命に関わる」
「バァカか、オメェ。そいつはもぉ、助からねえんだヨ。カーシスをたっぷり飲ませたからな」
「何と言われようとも連れて行く。少なくとも、貴様のようなヤツに預けるよりはマシだ」
 一度言ってしまえば勢いがつくもので、もう恐れや躊躇いなどはなかった。後は言葉が勝手に口から出てきた。
「黙ってそいつを置いてきゃあ、命だけは助かったのにヨ」
 そう言うと男はナイフを取り出して舌で舐めた。翔は近くの木に背負っていた男をもたれかけさせた。そして相手がいつ、襲い掛かってきても対応できるように身構えた。相手はしばらく翔の方を見ながらナイフを舐め回していたが、突然それをやめ、ナイフを強く握り締めて翔に踊りかかった。翔は即座に相手の右側にかわし、ナイフを握っている右手を手刀で叩いた。相手はナイフを落としそうなになったが、慌てて両手でしっかりとナイフを持って素早く後ろに跳び退った。
「あビねぇ、あビねぇ。俺の右目が潰れているから死角になる右側に回りこむなんて、オメェ、思ったよりやるな」
 全くの偶然であった。翔にはそんなつもりは毛頭なかったのである。しかし翔はあえてニヤリと笑って言った。
「お前の首を狙えば、もう勝負は着いていた。俺に敵わないということが分かったら、大人しくあきらめるんだな」
「ふ、ふざけやがって。こン、ガキャー」
逆上して真正面からナイフをつき立てて向かって来たので、翔はまたしても相手の右側にかわした。
「ブワァカめぇぇぇぇぇ。かかったなぁぁぁ」
相手は前に伸ばした腕をそのまま右になぎ払った。しかしそれより一瞬早く、翔は身を沈めてかわしていた。
「もらった」
 そして左腕で地面に手をつき、その反動を利用して右足で相手の顎を蹴り上げた。
「ウ、裏の裏だとぉぉぉ」
 相手は口から血を出して地面に崩れ落ちた。
(ひゅう、あビねぇ、あビねぇ、じゃなかった。しかし随分と上手くいったものだな。本で見ただけの蟷螂拳の技だってのに。とはいえ、ちょっとやり過ぎかな。いやいや、麻薬を使って人を苦しめるような人間にはこのくらいが丁度だろう)
 血を流して倒れた相手を見て、翔はそんなことを考えていた。翔が手を着いた辺りは、なぜか地面が盛り上がっていることに翔は気が付かなかった。
(さ、て、と。まずはあの金髪クンをどうにかしないとな)
 翔は金髪の男を背負って、元来た方へと歩き始めた。

 翔が金髪の男を背負って戻ると、陵はすでに帰って来ていた。
「どこ行ってたのさ。ん、何を背負ってるんだい?」
「人」
「人って…、ちょっと、どういうこと?」
「まあ、その、ちょっと、な」
 翔は苦笑いをして、曖昧に答えた。
「あ、その人…」
 陵が大きな声を出したので、翔は驚いて聞き返した。
「何だ、知り合いか?」
「いや、そうじゃなくて。その人、もしかして麻薬中毒なんじゃないの?」
「よく分かったな」
 男を横にして陵の正面に座った翔は答えた。
「よく分かったな、じゃないよ、もう。そんな人連れてきてどうするのさ?」
「いや、まあ、放っておけなくてな」
「麻薬中毒者はクスリが切れたら暴れることもあるんだよ。それぐらい知ってるでしょ。ここにはクスリなんてないし、どうする気?」
「治してやれないかなぁ、なんて…」
「何言ってるのさ。一度、麻薬に溺れたらボロボロになって死ぬまで抜けられないってことは誰でも知ってることだよ。おまけにその人、よりにもよってカーシスの中毒なんじゃないの?」
「ああ、そう言えばカーシスとか言ってたな」
 陵は怪訝な顔をした。
「誰が?」
「え、いや、こっちの話」
「ま、いいや。でも、カーシスの中毒になったら三十日も持たないって言うよ。何日経ってるのか分からないけど、ちょっと無理じゃないかな。それに治すって言っても、どうすればいいのか、分かるの?」
「まあ、それについては俺に任せてよ。ところで、南雲は?」
「うん、今日はなんでも、内勤で城の中にいるらしいよ」
「そうか、城にいるのか。そいつは都合がいい。今から会いに行こう」
 そう言って立ち上がった翔を見て、陵は驚いて言った。
「だから無理だって。さっきも言ったじゃないか。そう簡単に面会なんてできないって。それでなくても今は城の中は大変なことになってるんだ。そんな中に行ったりしたら、タダじゃ済まないよ。それにこの人どうするのさ?治すんじゃなかったの?」
 陵の狼狽振りと倒れている金髪の男を見て、翔はあきらめた。
「ちぇ、分かったよ。でも、どうして城の中が大変なんだ?何かあったのか?」
「なんでも、我が国にとって大事な国賓が行方不明、なんだってさ。誘拐って噂もあるよ」
「ふうん、物騒な所だな。ところでお前、どうしてそんなことまで調べられるんだ?」
「それはまあ、色々と」
「言いたくなきゃ、いいけどさ」
 そこまで話した時、翔の後ろでうめき声がした。
「お目覚めのようだね。どうするの?」
「じゃ、まずは縄を持ってきてくれないか」
「ああ、分かった」
 そう言って陵は寝室の方へと行った。

「これで良し」
 翔は金髪の男の両手両足を縄で縛った。
「確かにこうすれば、暴れられても平気だろうけどさ…」
 陵がそんなことを言っていると、その男は叫びながら体を動かし始めた。バタバタともがき、縄を引きちぎらんばかりの勢いである。陵は心配そうに近寄った。しかし翔はそれを制した。
「放っておけ。そのうち疲れて暴れる気もなくすだろう」
「でも、苦しんでるよ。こういう時はクスリをやらなきゃ、もっと苦しむよ」
「ここでクスリをやったら、こいつは助からない。まずはクスリを絶って、クスリなしでもいられるようにする。そうしたら次は以前の健康状態に戻るよう、栄養をつけさせるんだ」
 そうは言ったものの、翔は麻薬中毒者の正確な治し方など知るはずがない。いかに父親が医者であるとはいえ、そんなことを知ることはできない。テレビや本で見た方法を真似ているだけであった。しかしこうしていれば少なくともこれ以上ひどい状態になることはない。後は本人の体力が持つかどうかである。
 しばらくすると男は暴れるのをやめた。長い間動かなかったが、やがてぐったりとした様子で力無く頭を動かし、虚ろな目をしたまま言った。
「ここはどこだ?お前たちは誰だ?」
 弱々しい声ではあったが、翔たちはなんとか聞き取って縄をほどいてやった。
「クスリ、クスリをくれ」
「駄目だ、死にたいのか、お前」
「死ぬ…。死ぬのか?私は」
「ああ、このままだとな。助かりたかったら、俺の言う通りにしてもらおう」
「う…、分かった」
「よし、陵。何か食う物を」
 言われた途端、陵は戸棚からパンとハムを取り出した。
「異人さんにはこっちの方がいいだろうね」
 それを陵から受け取ると、翔は金髪の男に手渡した。
「よし、これを食え。吐いても構わないから、とりあえず口に入れてのみこんでおけ」
 男はそれを受け取ると、意外なことにあっと言う間に食べてしまった。
「まずい」
 そんなことを言われて、陵は頭に来て怒鳴った。
「お前、何様のつもりだ。俺たち貧民街の住人はな、その日の飯にもありつけないことなんてしょっちゅうだ。お前にくれてやったものだって、普通じゃ手に入らないものなんだよ。それを、まずい、だと。全部食ったくせによく言うよ。翔、こんな奴助ける必要は無いよ。助けたって、きっと感謝さえしないぜ」
 憤慨する陵を翔はなだめるように言った。
「まあまあ、陵。そのくらいにしておけ。お前も、ありがとうの一言くらいあってもいいと思うぞ」
と言いながら振り返ると、その男はうずくまっていた。
「どうした?」
「ううう、苦しい。頭痛がする。吐き気もしてきた。早いとこ、また縛ってくれ」
 そう言って男は両手を揃えて前に差し出した。陵は足を縛り、翔は手を縛った。そしてさらに、手と足の縄を繋げて結びながら言った。
「いい遅れたが、俺の名前は土方翔。翔と呼んでくれ。で、こいつは天宮陵」
「そうか、カケルにリョウ、か。私はソレビー・カイアン。カイアンと呼んでくれ」
 そう言うとカイアンは目を閉じて拳を強く握った。翔と陵は少し離れた。カイアンの体は小刻みに震え始め、次第にガクガクと大きく動き始めた。そして何事か大声をあげ、体を大きく動かし出した。その様子を見て翔は思った。
(なんてひどいことを。あのチンピラがやったのか?それともあんな小者じゃなくて、もっと大きな黒幕が控えているかもしれない。強力な麻薬を手に入れられるくらいだからな。だとしたら、どこのどいつかしらんが、見つけたらタダでは済まさないぞ)
 翔は拳を握りながら、苦しむカイアンの姿を見つめていた。

 翌日、大京城。謁見の間には東山光秀と南雲時人の姿があった。
「では、今日より通常の仕事に戻らせていただきます」
「そのことだが、お前にはやってもらいたい仕事ができた」
「と、おっしゃいますと?」
「陽京へ行き、貴族どもの動きを調べてきてもらいたいのだ。お前の仕事は風魔に引き継がせてある。早速、今日から陽京へ向かって欲しい」
「了解いたしました」
 そう言い残して南雲は部屋を出た。
(皇子捜索の人員を割いてまで貴族調査とは…、何かあるな。あるいは天皇派の貴族による反乱かもしれん。まあ、皇子捜索は風魔に任せておけば間違いなかろう。しかし、問題は土方だ。海老名が当てにならん以上、自分で何とかしなければならんのだが…。それに魔神のこともある。あれから何の報告もないが…。まあ、報告がないということは何もないと考えておこう)
 南雲が退室した後、将軍は隣にいた小姓に命じた。
「光明を呼べ」
「しかしただ今、光明様は西様に師事中ですが…」
「構わん、二人とも呼べ」
「はっ、かしこまりました。今すぐに」
 小姓が一礼して部屋を出てからしばらくして、二人の男が部屋に入ってきた。先に入ってきたのは東山光明。将軍の息子である。背が高くしっかりとした体格で、父親譲りの意志の強そうな目をしている。若いがどことなく風格があり、身に付けた高価な着物にも負けていない。後から入ってきたのは光明の教育係であり将軍直属の楽士、西響二。茶色の目と髪の毛、色白だが端正な顔立ちに華奢な体つき。こちらは着物ではなく、長いローブのようなものを着ている。両耳にイヤリング、首にはネックレス、腕にはブレスレッドを着け、この部屋の中では一人、違った雰囲気を放っている。脇に抱えているのは指弦という楽器で、彼愛用の品である。外見からして年齢は二十代半ば。二人は将軍の前に座り、深々と礼をした。
「お呼びでございますか、父上」
「うむ、お前は今日、誕生日であったな。それで前々からお前が十八になった時に伝えておこうと思っていたことがあってな」
「それは一体どのようなことでしょうか」
「今後、私の身に何かあった場合のことだ」
 その言葉を聞いて、西は言った。
「では、私は外した方がよさそうですね」
 立ち上がろうとした西を将軍は制した。
「いや、構わん。いずれは皆が知るようになること。遅いか早いかの違いに過ぎん」
「分かりました。では、同席させていただきます」
 将軍と西のやり取りの後、光明は将軍に言った。
「父上の身に何かあった時、とはどういうことですか。父上は病気一つない健康なお体ではありませんか。私の誕生日を祝って下さるのなら、そのような不吉なことは・・・。それとも、何か気がかりでも?」
「いや、そういう訳ではない。しかし、このような地位にいる者はいつ何時、その命を失うことになろうと不思議はない。事実、現在は帝国の皇子が行方不明だろう。何かあってから慌てるようでは遅いのだ。まあ、聞け」
 父の真剣な目を見て、光明は座りなおして答えた。
「はい」
「私が死ぬ、あるいは重度の負傷や疾病で将軍としての執務を続行することが困難となった場合、副将軍、つまり私の弟、お前にとっては叔父だな、副将軍の熱海冬雪が将軍代理となる。私が持つ権限の全て、すなわち政務の最終決定権や軍の統帥権は将軍代理のものとなる」
 その言葉に光明は少なからず驚いた。
「父上、確かに叔父上は尊敬すべき方ではありますが、父上とは血の繋がらない、義理の兄弟ではありませんか。それをそのように信用するとは…」
「人の話は最後まで聞くものだ。副将軍が代理を務めるのは、お前が二十歳になるまでだ。お前が二十歳になったとき、お前は将軍となって将軍代理は副将軍に戻る。実はな、この話はもう、副将軍の方には伝えてある。そうしたら、あいつは『光明様は大変優秀です。有事の際には私が代理になるまでもなく、そのまま将軍職に就かれても良いぐらいです』と言いおった。しかし若さは可能性の代名詞でもあるが、同時に未熟の証明でもある。だから私は二十歳になるまで待て、と言ったのだ」
「なんと…。叔父上は私をそこまで評価して下さっておられたのか。それなのに私はその叔父上を疑うようなことを…。なんと恥ずかしい」
 光明はしばらく黙ったままであった。他に口を利くものもなく、部屋はしばらく静寂に包まれたが、不意に光明が口を開いて言った。
「父上、私は次期将軍に相応しい人間になるため、更に精進します。今のままでは叔父上の足元にも及びませぬ」
「ほう、頼もしいな。期待しているぞ」
「では、これより剣術の稽古もありますれば、これにて失礼させていただきます」
「うむ、励めよ」
 光明が退室すると、将軍はふう、と溜息をついた。
「真面目すぎるのが欠点と言えば欠点だな」
 将軍は西に語るでもなく、独り言のように呟いた。
「素晴らしいご子息だと思います」
 将軍の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、西はそう言った。
「西よ、お前の授業を邪魔して済まなかったな」
「いえ、光明様は驚くほど上達が早いので、一日ぐらいは遅れとはなりません。却って良い骨休めかと。それよりも、久々に一曲、いかがでしょう」
「ああ、頼もうか」
 西は抱えていた指弦を構えて、美しい旋律を奏で、そこに高く透き通った声を乗せた。

 翔がソレビー・カイアンなる男を森で拾ってから三日が経っていた。この間、翔はカイアンの面倒を診ていて、城へ行こうなどと考える暇などはなかった。
「もう、大分いいようだな」
 カイアンを眺めながら、翔は確認するように言った。
「ああ、意識を失うこともなくなったし、体重も元に戻ったようだ」
「あのまま死ねば良かったんだよ」
 陵は憎まれ口を叩いた。あの食事の一件以来、この二人はあまり仲が良くはない。であるから、間に立つ翔が苦労することになる。
「やれやれ、いい加減にしておけよ」
「でも翔、こいつのせいで飯の調達が大変になったんだ。元々こんな所に住んでいるから、俺には仕事なんてないし。乞食とそう変わらないんだよ」
「飯の調達が大変、か。それは俺のせいでもあるな」
「あ、いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、カイアンは体力をつけなきゃならないってんで、栄養のつくものを集めなくちゃならなかったから・・・」
「ふうん、お前なりに心配していたんだ」
「ち、違うよ。そんなんじゃないよ」
「いいから、いいから。照れるなよ、俺は知ってるんだぜ」
「何をさ?」
「夜、カイアンが声を出すと、起きて様子を見ていたじゃないか」
「それは…、暴れられたら迷惑だからだよ」
「じゃ、そういうことにしておくか」
 そんな二人の会話を聞いていたカイアンは、突然、陵の手を握って言った。
「ありがとう、リョウ。君は私のために色々してくれた。それなのに私は君が用意してくれた食事に対して、失礼なことを言った。済まなかった。私は、自分の国に帰ったら、もう一度この国に来る。そしてこのお礼をする。もちろん、カケルにも」
 陵は驚きと照れくささが入り混じった複雑な表情をし、それを悟られないように横を向いて答えた。
「別に、俺は何もしていないさ。悪い奴から助けたのだって翔だし、中毒を治したのも翔だ。礼なら翔にすればいい」
 陵とカイアンの様子を見て翔は微笑を洩らしたが、すぐに真面目な顔付きになってカイアンに尋ねた。
「なあ、カイアンって、この国の人間じゃないないんだろう。何でこの国に来ているんだ?それにカイアンを捕らえてたあいつは一体、何者なんだ?差し支えなかったら、教えてくれないか」
「私はソロレシア帝国からこの国に留学に来ていたんだ。一応、国賓という扱いになっている」
「もしかして、幕府が探していたのはカイアンか」
「ああ、そう言えばそんな話があったな。もしかして、カイアンって、いいとこのボンボンか?」
 翔がそう言うと、二人は怪訝な顔付きをした。
「カケル、ボンボンって何だ?」
「あ、いや、だから、カイアンの親父さんって、偉い人なのかってことだ」
「ああ、なるほど。そういうことなら、私の父は皇帝だ」
 それを聞いて、陵は大声で叫んだ。
「こ、皇帝?皇帝ってソロレシアのか?そう言えば帝国の皇帝もカイアンって名前だったな。じゃあ、カイアンはソロレシア皇子ってことか?」
「まあ、そういうことになるな」
 今一つ、翔には実感の湧かない話ではあった。
「幕府が騒ぐのも道理だ。他国から預かった皇子がいなくなった、なんてことになったら国際問題だもんな。で、もう一つの質問の回答は?」
「私を捕らえていた男か?それは私にも分からない。ただ、確か『これで幕府もおしまいだ。阿部様もお喜びになるだろう』とか言っていたな」
「阿部だってさ。陵、聞き覚えはないか?」
「さあ、阿部だけじゃ、分からないね」
「ま、それはともかくとしても、私は奴のアジトを覚えている。だから幕府に報告すれば、いずれそこから分かるだろう」
「じゃあ、陵。幕府まで連れて行ってやれよ」
「いや、その必要はない」
 聞き覚えのない声が部屋に響いた。
「誰だ」
 陵は側に置いてあった棒を取って身構えた。その陵の後ろに人影が現れた。陵は棒を握り締めて振り返った。陵の正面に立っていた翔は、その人影を見るなり叫んだ。
「何者だ」
「私は幕府の調査官、風魔疾という者だ」
「風魔…」
 後ろに立つ男の顔を見た陵は、驚いた顔で立ち尽くした。
「殿下を拉致した一味は居所を突き止めて捕縛した。今頃は私の部下が幕府へ連行しているだろう。しかし殿下の姿が見えなかったので、この辺りを探していたのだ。そうしたらこの家から人の気配がしたので、失礼ながら上がらせてもらった」
 風魔と名乗ったその男をしげしげと眺めながらカイアンは言った。
「そうか、幕府の人間か。なら、話は早い。早速、城へ連れて行ってもらおうか」
「まあ、待てよ。そいつが本当に幕府の人間かどうかは分からないだろう。何か証拠を見せてもらわなきゃ、な」
「いや、翔。その男は本当に幕府の風魔だ」
「何だ、陵。知っているのか?」
 翔の言葉を聞いた風魔は確認するように陵の顔を見た。
「お前、天宮陵か?まだこんな所に住んでいたのか」
 それに対して陵はきまり悪そうに答えた。
「あ、ああ。まあな」
「いつまでこんな所にいるつもりだ。圭も心配していたぞ」
 二人の会話に横から翔が口を挟んだ。
「圭って誰だ?」
「俺の兄貴だ」
「陵、圭はお前のことをいつも気に掛けていたぞ」
「兄貴の気がかりは俺のことじゃない、自分のことさ。役人の弟が貧民街をうろうろしているなんて、みっともいい話じゃないからな」
「いつまで意地を張るつもりだ」
 そんなやり取りを見て、翔は、面倒臭そうな話だな、と思って言った。
「何か事情があるようだが、今はカイアンの無事を将軍に伝えるのが先じゃないのか?」
 風魔は諦めの表情で言った。
「それもそうだな。では殿下、参りましょうか」
 風魔はカイアンを連れて家を出ようとした。その時、翔は思いついて言った。
「あのさ、あんた幕府の調査官なんだろう?なら、南雲っての、知らないか?」
「ああ、同僚だ」
「じゃあ、さ、南雲に会ったら土方ってのが探してるって伝えてくれないか」
「土方?お前、土方翔か?」
「何だ?俺のことを知っているのか?」
 翔の言葉を無視して風魔は続けた。
「分かった、伝えておこう」
 そう言うと風魔は戸を開けて出て行った。カイアンも二人の方を振り返って軽く手を振ってから戸を開けた。

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