第三章 邂逅−水竜と鳳凰

第一話 リーダーの責務

 NOAHの内部のブリッジにはラナンをはじめとして四人の男女がいた。彼らはモニターを凝視している。皆、緊張した面持ちであり、ただごとならぬ状況であることが一目で分かる。最初に口を開いたのはルノーであった。
「やはりどこにも反応がない」
「サラ、通信はどう?」
 ミーナは後ろを振り返り、サラに尋ねた。
「何もないわよ」
「やっぱり、撃墜されたんだろう」
 ラナンがその一言を発すると、ほかの三人は一瞬、ビクッっと体を動かしたが何も答えなかった。だがそれにもかかわらずラナンは続けた。
「なあ、みんな。気持ちは分かるけれど、定時連絡もない、こっちからの呼びかけにも応じない、おまけにいるはずの場所に機体の反応さえもない。となればマリエとペギラは魔神と遭遇して撃墜されたと考えるしかないんじゃないのか。特にこのボードでは」
 ラナン達のいたラントと違い、彼らがボードと呼んでいるこの世界では、通信や探査を阻害するものはない。ということは、機体の反応がないという時点でもう、撃墜されたと考えるしかない。そのことは誰もがよく理解していた。
「分かってる、そんなことは分かってる」
 力無くルノーは答えた。ミーナとサラは黙ったままうつむいている。
「…一時間後にブリーフィングルームに集まってくれ。それまでに各自、気分を整理しておくように」
 ラナンはそう言うとブリッジを出て行った。
「なんだかんだ言っても、リーダーなのね」
 独り言のようにそう呟やくと、サラも出口へ向かった。ミーナはそれを呼び止めた。
「どこへ行くの?」
「あなたの機体も整備しておかなきゃならないでしょ」
 そう言った彼女の声は心なしか震えていたようであった。サラが去ってブリッジにはルノーとミーナだけが残った。ルノーはマリエと恋人同士であり、今回の任務が終わったらルノーは結婚を申し込むことを考えていたほどであった。ミーナはそんな事情を知っていたからどうにか励ましてやりたいと思ったが、ルノーの様子を見ると、何を言えばいいのかわからなくなり、ただ一言、
「ルノー、あまり思い詰めちゃ駄目よ」
とだけ言って彼女もまたブリッジを去った。ルノーはいつまでもモニターを見つめたまま動かなかった。
 そして一時間後。自室にいたラナンは顔を洗ってタオルで拭いた。彼もまた今回のマリエとペギラの行方不明を軽んじて居る訳では決してなかった。ラナンとペギラは士官学校での同期で、私生活においても一番の親友であった。このチームの中では誰よりもペギラとの付き合いは長い。マリエという恋人を失ったルノーと比べても、その悲しみは劣るものではなかった。おまけにラナンはこのチームのリーダーであるから、その意味でもメンバー二人の行方不明は彼にとって大きな問題であった。しかしそんな様子を他の者に見せないように振る舞っていたのである。そんな彼が部屋を出てブリーフィングルームに入った時に、すでに椅子に座っている者があった。黒く長い髪はルノーである。
「もう来ていたのか」
「ああ」
 それだけ言葉を交わすと、ラナンは一番前の、皆の椅子に向かっている席に腰掛けた。しばらくするとサラが、そしてミーナが現れた。
 全員が座って自分の方を見たのを確認するとラナンは話を始めた。
「これからの我々の行動について話をしたいと思う」
 三人とも真剣な顔付きで小さく頷く。
「先の戦闘において、魔神の力は我々の予想を大きく上回っていることが分かった。しかもそれが十三体もいる。それに引き換え、マリエとペギラがいない今、我々の戦力はこのNOAHとモーターフィギュアがたったの三体。まあ、まともに考えれば、到底勝ち目はない」
 そこまで話したときに、ルノーは大きな音を立てて立ち上がった。
「じゃあ、このまましっぽ巻いて帰るってのか。冗談じゃないぞ。マリエとペギラの仇を討つまで、俺は帰らん」
「これだけの戦力では無理だ」
「じゃあ、お前は帰ればいい。俺はここに残る」
 ラナンとルノーが言い争いを始めたので、ミーナは二人の間に入った。
「ちょっと待ってよ。ルノー、あなたの気持ちも分かるけど、ラナンはリーダーなのよ。彼に従わなくては」
 ルノーにそう言うと、今度はラナンの方を向いて言った。
「ラナン、あなたの言うことももっともだし、リーダーであるあなたの決定に羽最終的には従うつもりだわ。だけどルノーの気持ちも考えてよ。それにわたしもこのまま帰るなんていやだわ」
 その言葉を聞くと、ラナンは大きくため息をついてルノーとミーナを見た。
「二人とも何を勘違いしているんだ。俺は帰るなんて一言もいってないぜ」
 ルノーは驚いた顔をして言った。
「え、じゃあ…」
「探すんだよ、あの二人を」
「え?」
「さっきも言った通り、この戦力では魔神にはかなわないだろう。だから魔神の捜索は一旦打ち切って、マリエとペギラを見つけだすんだ。あの二人、連絡は絶ったが、実際に魔神に撃墜された所を見た訳じゃない。そして五体揃えば、なんとかなるかもしれない」
「じゃあ、あの二人は生きているっていうのか」
「そう願うだけだ」
 ラナンは立ち上がったままのルノーとミーナに席に着くように、という仕草をした。実際にラナンは二人の生存を信じていた訳ではない。また、魔神と戦っても今のままでは勝てないということも分かっている。そこで彼が導き出した結論は、帰る、というものであった。ただし、帰るにしてもアルケンの最新の機体をそのままにしては帰れない。そこで三人には、行方不明の二人を探すと偽って二人の機体、あるいはその残骸を回収するのが目的であった。彼自身、自分でもひどいことを考えて行っているという自覚はあったが、組織の一員として、チームのリーダーとしてやらなければならないこと、と自分に言い聞かせて実行に移すことを決意したのであった。
「…じゃあ、続けるぞ。ボードに着いてから、我々は三つの班に別れた。俺とルノーは東、ミーナは西、そしてマリエとペギラは南だ。知っての通り、最後に二人から定時連絡があったのはエルドラドと呼ばれる国の東の海岸からだ。ちょうど第二大陸が東に見える辺り。だからこの海岸と第二大陸の間のアウス海にこの船を転移させてそこを中心に捜索する。どうだ、サラ?」
「チャージしなくても転移できるだけのエネルギーはあるわよ」
「うん。それから、十二神将に協力を仰ごうと思う」
 それを聞いてルノーは言った。
「ちょっと待てよ。そんなことをしたら、上層部に知られるんじゃないのか」
「いや、海老名ならなんとかしてくれるだろう。あいつもペギラとは例の事件以来の浅からぬ仲だからな」
「魔神討伐の時か。だが十二神将っていってもまだ全員は揃っていないんじゃなかったのか」
「それは構わない。海老名と南雲、それに風魔の三人の情報力があればそれなりの成果は期待できるだろう」
「その三人以外はこういうことには向かないしな」
「そういうことだ。海老名の仕事は遅れることになるかもしれないが、とにかく頼んでみよう」
「じゃあ、リーダーにまかせるよ」
「よし、じゃあ全員ブリッジに移ってくれ。海老名と連絡をとったら早速、転移を始めるからな」
 そして四人はブリーフィングルームを出てブリッジへと行った。ブリッジに着くとラナンはまず、通信席に座った。
(通信番号4649。海老名、出てくれよ)
 キーボードに数字を打ち込んでから、ラナンはモニターを凝視していた。ほかの三人も同じようにしている。ややあってからモニターにはオレンジ色の髪をした男が映し出された。その男は陽気に言った。
「はいはい。愛と正義と平和の戦士、この海老名龍一朗に御用なのはどなたでしょうか」
「相変わらずだな、海老名」
 ラナンは呆れた様子だ。
「おっと、ラナン君。珍しいね、一体どうしたんだい」
「実は頼みがあって連絡した」
「お金ならないよ」
「…馬鹿、そんなことじゃない。マリエとペギラが行方不明になった。だから捜索にあたって協力を願いたい」
「ペギラが?」
「ああ」
「魔神に撃墜されたのか?」
「いや、まだそれは分からない。その可能性は高いがな。どうだ、頼まれてくれるか」
 ラナンは海老名のことだからきっと快諾してくれるだろうと思っていた。しかし海老名はしばらく何か考え込んでから、思いもしない返答をよこした。
「その必要はないね。ペギラはきっと大丈夫だし、あいつがついていたのならマリエも無事だよ」
「いやしかし、もうずっと何の連絡もないんだ。こっちからの通信もつながらないし」
「気にすることはないよ」
「何を呑気なことを。ここで連絡がないって事は何かあったってことだぞ。こっちの世界には通信を妨害するようなものは何もないはずだし、モーターフィギュアを破壊できるのは魔神ぐらいしかない。とすれば連絡がないってことは、魔神にやられたとしか考えられないじゃないか。そんなことは分かっているだろう」
「じゃあ聞くけど、どうして探すんだい。魔神にやられたとしか考えられないんだったら、探しても無駄じゃないのか。それとも死体を見つけて葬式でもするつもりなのかな。自分を慰めるためだけの捜索なんてやめておきなよ」
 確かに海老名の言う通り、ラナンは二人が到底生きているとは考えていない。この捜索も、本来の目的は別にある。しかしそのことを一緒にいる三人には知られるわけにはいかない。そこでラナンは怒ったふりをした。
「もういい、頼まん」
「そんなに怒るなよ。あの二人なら大丈夫だって。それじゃ、切るよ。ああ、そうだ、このことは上には黙ってであげるから」
 モニターから海老名の姿は消え、ただ黒い画面のみが残った。ラナンはそれを睨んで、あえて三人に聞こえるように呟いた。
「ちくしょう、あのやろう」
 ルノーとミーナは複雑な表情でそれを見ていたが、サラはそんなことはお構いなしに言った。
「転移しないの?」
 ラナンは我に返って答えた。
「ああ、そうだな。頼む。皆、シートベルトを締めろ」
「空間転移、始めます。座標、X43Y22からX38Y49へ。ミーナ、そっちはどう」
「システム、オールグリーン。いけます」
「カウントダウン開始。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、スタート」
 サラがスイッチを押すと、船内の照明は全て消えた。約二十秒間、その状態が続いたあと、再び明るさが戻ってきた。
「何のショックもない。いい船だな、こいつは」
 ルノーは感心したように言った。
「でもこんなに近い距離なら通常運行でもすぐだったんじゃないの」
 ミーナはラナンに疑問を投げつけた。
「いや、万が一魔神に遭遇して二人が負傷していた場合のことを考えると、一刻も早くここに来た方がいいと思ったんだ。ま、転移システムを試してみたかった、というのもあるがな。とにかく、まずは周りの状況を調べよう。転移したばかりだからしばらくはレーダーが使えないからな。ミーナ、出てくれないか」
「分かったわ」
 ミーナはそう言ってヘルメットを取って格納庫の方へと向かった。
「ブリッジ、聞こえる?こちらミーナ。発進準備、整いました」
 しばらくしてからミーナのステルスナイトからブリッジに向けて通信があった。
「よし、出てくれ。ただしこの辺りに魔神がいるかもしれないからな。十分に気を付けてくれ」
「分かってるわ。それじゃ、発進します」
 ミーナのステルスナイトは高い音を出してカタパルトから打ち出された。ステルスナイトはその表面にレーダーを吸収する特殊な塗料を塗っていて、さらに両肩にジャマーをニ基装備している。その上、高速での飛行も可能である。ゆえに武装こそは少ないものの、偵察・調査・索敵といった任務にかけては他の追随を許さない。魔神調査の折りにもミーナのみが単独で動いていたのもそのような理由からである。
「こちらミーナ、NOAHブリッジどうぞ」
「ああ、どうだ」
「少なくともこのレーダーで認識できる範囲には何もないようね。陸地にも、海中にも。どうするの」
「そうだな、一旦戻ってくれ。俺とルノーがホバーバギーで調査する。ミーナはサラと二人で使用可能になったら、NOAHのレーダーでの調査をしてくれ」
「分かったわ」
 通信が切れるとラナンは向き直って言った。
「ルノー、そういう訳だ。一緒に来てくれ。サラ、後は任せた」
「いってらっしゃい」
 ラナンとルノーはブリッジを出て格納庫の方へと駆けて行った。

 ラードルールの最北端、インベオのノス港。ラードルールの中でも五指に入るほどの大きさであるこの港は、貿易のみならずソロレシアの北港や北回りで東方へ向かう定期便が出ている。そして数こそは少ないが、ファーン王国へと向かう便もあった。ファーン王国はラードルール、ことにインベオとはあまり親密ではない。インベオから独立したというファーン王国の成立事情を考えれば当然にことである。しかし国王のエアリアー・ファーンは未だにラードルールに対して小さくない影響力を持っている。ゆえにこの二国の間には一応は国交がある。丁度このときも一日二度しかないファーン王国へと向かう定期便が港に停泊している時であった。その船の側で水夫たちがおしゃべりをしながら休んでいる。そこへ一人の若者がやってきた。
「ファーンへはこの船でいいのかい」
 水夫たちは一旦おしゃべりを止めてそちらの方を向いた。
「ああ、そうだ。もうあまり時間がないからさっさと乗っちまった方がいいぞ」
「ありがとう」
 その若者、ローレンス・ロクアドルは礼を言って船に乗り込んだ。タラップを上りきったところに一人の男がいて、運賃を請求してきたのでローレンスはそれを払った。男は金を受け取ると、個室の鍵をローレンスに手渡した。その鍵には12と記されていた。ローレンスはその部屋を探して船内をうろうろしていたが、どうしても見つけられなかったのでタラップの方に戻って聞いてみることにした。しかしタラップがどちらなのかも分からなくなってしまったので、向こうから歩いてくる二人連れの乗客らしき人に聞いてみることにした。
「あの、申し訳ありませんが、この部屋はどこかわかりませんか」
 ローレンスから受け取った鍵を見てから背の高い方が言った。
「そこの階段を降りて右に曲がったところですよ。近くに食堂があるからすぐ分かると思いますよ」
「ありがとうございます、助かりました」
 教えられた通りに進んで行くと、食堂が奥に見える通路に出た。そこの左手の向かって三番目の部屋のドアに12というプレートがあったので、そこが目指す場所であることが分かった。ドアを開けて中に入ると、ローレンスは荷物を置いてすぐにベッドに横になり眠りに入ってしまった。この数日間、シャンナを駆けて来た彼であるからそれは無理もないことだった。途中、一度ミレイの家に泊まったがこれもやはり疲れることの方が多い出来事ばかりだったと言えよう。そんなわけでローレンスは昼過ぎに船に乗ったのに、目が覚めたのはもう夜であった。起き上がったローレンスは、ベッドに腰掛けたまま頭をかいて呟いた。
「腹減ったな」
 部屋を出て食堂の方を見てみると、まだ明かりは点いていた。しめた、とばかりに彼は部屋の鍵を掛けて食堂へ行った。食堂は思いのほか広く清潔で、まだ人影もいくらかあった。ローレンスは外を眺められる窓際の席を選んで座った。そして給仕を呼び、サンドウィッチとコーヒーを頼んだ。窓の外の星をぼんやり眺めていると、人の話し声が聞こえてきた。何げなくそちらの方に目をやると、二人の男がローレンスの席から少し離れた席に座ってひそひそと話をしていた。黒ずくめの服を着た、背が高くがっしりとした体格。黒い髪と目であることから、どうやら登陽の人間らしいことが分かった。
「No.30はまだ見つからないのか」
「フレリオに住んでいたらしいことまでは分かったのだが、その後どこかへいってしまったようだ」
「早く見つけることだな。村雨様はだいぶ苛立っておられるようだぞ。なにせ三十体目にしてようやく完成した蓄積細胞の持ち主だからな」
「あ、ああ。わかっているさ。だがもう少し時間をくれ」
「またそれか。もう聞き飽きたぞ」
「もう少し、もう少しだから」
「ふん。これ以上、長いことは待てんぞ」
 そういうと片方の男が立ち上がって食堂を出て行った。ローレンスは別段、盗み聞きするつもりなどはなかったのだか、彼は目は多少悪いが耳は良い。自然に聞こえてしまったのだ。
(ナンバーサーティー?蓄積細胞?なんのこっちゃ)
 もっとも彼自身こんな調子であったから、聞こえたからといって特にどうということもなかったのだが。その会話に気を取られている隙にきたサンドウィッチをローレンスは手に取り口に運んだ。
(イマイチだなあ。ミレイのパンの方が上等だった)
 気を取り直して今度はコーヒーを飲んだが、これも満足いくものではなかった。
(水が悪い。豆自体もあまり良いものじゃないうえに、挽き方が粗すぎる。ミレイがいれてくれたのとは段違いだ)
 もちろんミレイがローレンスのために用意してくれた食事は素晴らしいものであった。しかしそうでなくとも普段から良いものを食べている大公家の人間なのだから、このような所で満足できるような料理が出るはずがないことは考えるまでもなく当たり前のことであった。
(ミレイ、どうしてるかな)
 その食事がきっかけで、彼の心にミレイのことが浮かんだ。気の強い面とおとなしい面、二つの顔を持つ少女。たった一晩、一緒に過ごしただけであるが、彼女のことはその記憶に鮮明に残っている。大公の息子である彼は貴族や芸術家などの娘と知り合う機会は多かった。しかし彼はそういった女性たちと関係を持ったことは一度もなかった。なぜか、と言われればはっきりと答えることは出来ない。ただ本気で付き合う気もないのに、一夜限りの花を手折ることが彼にはできなかった、ということであろうか。とはいえそれでも彼が今まで知り合った女性の数は、国内外を含めそれこそ星の数ほどいる。しかしその中でもミレイだけは特別であった、ような気がした。
(もう一度会いたいな。やっぱりファーンから戻って来たら会いに行こうかな。一応、約束もしていたし。それにしても彼女、一体何があったんだろう。誰もいないところで一人で暮らすなんて寂しいだろうに。なんとかしてあげたいなあ)
 食べかけのサンドウィッチを手に持ったまま考え事をしていると、声を後ろから声を掛けられた。
「口を開けてボーっとしてるとアホみたいだぞ」
 振り返ると、先程部屋を教えてもらった二人がいた。声を掛けてきたのは背の低い方であった。低いとはいってももう一人が高いだけで実際はローレンスとそう変わらなかったが。背の高い方は赤い髪の毛をしている。もう一人は金髪だが、少し赤みがかっている。そのことからローレンスはこの二人が北方の出身であるらしいと思った。
「あ、さっきの…」
「部屋はわかったのかい」
「ああ、おかげさまでね」
 ローレンスはぶっきらぼうに答えた。
「なんだよ、何怒ってるんだ。軽い冗談じゃないか」
 男は笑いながらローレンスの向かいの席に座った。
「ほかにも席は空いてるよ」
 ローレンスは横を向いたまま言った。もちろん彼は本当に怒っていた訳ではなかった。ただ最初に馬鹿にされたのでちょっと意地悪く言ってみただけのことであった。一人で座っていると色々なことを考えてしまう。しかもローレンスの場合、それがどんどん深刻な方へいってしまうことがある。だから彼はあまり考え事をしないようにしている。そんな彼にとっては話し相手がいた方が都合が良い。それゆえ、その男が座っても本気で嫌がったりはしていなかった。相手もそれが分かっている様子で構わず座っていた。
「まあまあ、いいじゃないか。一人で食事なんて、味気ないぜ。私はソレビー・カイアン。こっちは…」
「ユーリ・ミハイロフです」
 もう一人の男は立ったまま言った。
「立ってないで座ったらどうですか」
 ローレンスがそういうとミハイロフは一礼してカイアンの隣に座った。
「ロックと呼んでくれ。ところで君、カイアンって名前らしいけど、まさか帝国に関係ないよね?」
「大有りだ。私はソロレシア帝国皇子だ。もっとも今はもう、帝国はないがな」
 それを聞いてローレンスは少し驚いた。そのショッキングな内容とそれを平然と話すカイアンに。
「じゃあ帝国が滅んだっていうのは本当だったんだ」
「ああ」
「聞いた話じゃ、随分と不可思議な攻撃を受けたらしいが、本当なのかい」
「空から光が降って来て、国中あっと言う間にやられたって話か。本当だ。一体全体、もう何がなんだか…」
 カイアンは頭を振って両手を挙げる仕草をした。ミハイロフは相変わらず腕を組んだまま黙っている。
「帝国だけ?」
「ああ。きれいに国境を境にして、な」
 それを聞いてローレンスはしばらく考え込んでいた。カイアンはその様子を見ている。やがてローレンスは目線を斜め下に向けたまま呟くように言った。
「おそらく人為的なものだろうけど、魔術じゃないね」
「なぜだ」
「国中が襲われたんだろう。それだけ広範囲に及ぶ魔術はない」
「しかし多人数ならどうだ」
「それなら不可能ではないが、それだけ魔術師が揃うなら別の方法でもっと簡単に国の一つぐらい潰すことができるよ」
「となると誰が一体何のために…。くそ、絶対に許さないぞ」
 カイアンは悔しさを思い出したかのように拳を握った。ローレンスはそれを見てカイアンの心中を察した。
「仇を探しているのかい?」
「まあな。何か分からないか」
 それを聞いてローレンスは少し考え込んで言った。
「そうだなあ。一つ、いや、二つ可能性がある」
「それは?」
「一つは魔神」
 それを聞いてカイアンは呆れ顔をした。
「お前、そんな伝説を信じているのか」
「魔神が実在するかどうかは分からない。しかし人間を超越する力を持つ魔神になら可能かもしれない」
「だとしても帝国だけを狙う理由はないだろう」
「さあ、どうだか」
「それでもう一つは?」
「異世界のオーバーテクノロジー」
「どっちも非現実的だな。異世界のことだって何も分かっていないんだろう。あるというだけで。そのオーバーテクノロジーだって仮説に過ぎないじゃないか」
「だからあくまで可能性の話だって。後は、これはその話をしてくれた人が言ってたんだが、神罰じゃないかって」
「冗談。我々が一体何をしたっていうんだよ」
「さあ、ね。胸に手を当てて良く考えてみたら」
「嫌な言い方だな。ま、いいや、ありがとう。いろいろと参考になったよ」
 そう言うとカイアンは立ち上がった。ミハイロフもそれに習った。
「あ、ちょっと…」
「何だい」
「どこ行くんだ」
「部屋に帰るんだよ」
「何か食べに来たんじゃないのか」
「いや、違うよ。廊下を歩いていたらお前の姿が目に留まったからな」
「だからって何でわざわざ僕のところに来るんだい」
「別に。ただ、なんとなく」
 カイアンはそう言って、ミハイロフと行ってしまった。
(なんなんだ、一体)
 ローレンスはあっけにとられて呆然と見送っていた。

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