第四章 予兆−巨星堕つ

第一話 訃報

 用意された部屋に荷物を置いたローレンスは、地図を片手に宿を出て例の家庭教師を募集している所を目指して歩き始めた。南港亭がある細い路地は大通りへと続いている。地図によればその大通りを北に進み、三つ目の角を東に折れた場所に目的地があるということになっている。路地から大通りに出ると、ローレンスは一旦立ち止まって地図で確認した。
(ここを北に進めばいいんだな)
 地図と周りの景色を見比べながらローレンスは歩を進めた。北に向かうにつれ、だんだんと高級な邸宅が多く見られるようになる。
(さすがに家庭教師を雇おうというだけあって、それなりの家に住んでいるんだな)
 三つ目の角が見えてきたとき、同時にローレンスの視界には大きな建物が入ってきた。それは白い建物で、ローレンスの住んでいた大公館にも引けを取らないほど立派なものであった。
(すごいな。あんなところに住んでいる人もいるのか)
 ローレンスが三つ目の角を曲がると、そこはそれまでとは違って道がレンガで舗装されていた。
(こりゃあ、一等地だな)
 その通りの右手には思った通り、立派な建造物が立ち並んでいた。しかしそれらは、普通の住宅には見えなかった。もちろん、このような所に建てられているからには並みの住宅ではないのだろうが、それにしても様子が違っている。例えば門はどこも開け放たれているし、塀は低く中が見えるほどだ。玄関と思われるドアはガラス張りで建物の内部が見えるようになっているし、二階へと続く階段が屋外に設けられている。建物の周りにはベンチまである。一方、通りの左手には家は見えなかった。その代わりに大きな塀が、視界が霞むほど遠くまで続いている。塀の向こう側には、先程の大きな白い建物がある。ローレンスは立ち止まって地図を見た。
(なんだか変な所に出ちゃったな。本当にここでいいのかな?)
 地図に誤りがないことを認めると、ローレンスは塀に沿って歩きだした。しばらく行くと塀は途切れ、大きな門が見えた。
(ここ、だな)
 やはりこの建物の門も開け放たれていたが、横には武装した衛兵らしき人物が二人いた。ローレンスが門の前に止まって建物を見上げていたので、衛兵はローレンスに声をかけた。
「おい、お前何か用か」
「あ、家庭教師の募集を見て来たんですが…」
「ふうむ」
 衛兵はローレンスをジロジロと見つめて言った。
「できるのか、お前に」
 衛兵がそう思うのも無理はない。身分の低いものに教養があるはずがないから、家庭教師というのは普通、それなりの身分の者がするものである。しかしローレンスはこの時も身分を隠すための質素な服を着ていた。とても教養がある人間だとは認められなかったというわけだ。
「おおかた高給に釣られて来たんだろう。お前みたいなのには無理だ。帰んな」
その言葉はローレンスのプライドを刺激した。だが、先程の様子では取り合ってくれそうにない。どうしたものかと思案して、広告にあった文句を思い出した。
「能力テストがあるんでしょう。せめてその結果で判断してください」
「もう何日も前から募集をかけていて、大勢がテストを受けても未だに決まらないんだ。お前には到底無理だとは思うが…」
 仕方がない、といった様子で衛兵はローレンスを塀の中へと入れた。中は予想以上に広く、先程の大きな建物のほかにも兵舎と思しきものやシャンナの小屋が幾つも見えた。そしてその周りには門番と同じような格好の衛兵が数多くいる。
(ここにいるのはよっぽどの身分の人なんだな。将軍、公爵クラスか)
 ローレンスは衛兵に連れられて門から東側にある兵舎に案内された。
「ここがテスト会場になっている。今、もうすでに何人かがテストを受けている。結果はすぐに出るから、それで駄目だったらあきらめて帰るんだぞ」
「わかってますよ」
 兵舎の中の会議室らしき部屋が会場であった。すでに五、六人ほどの男女が席について何かを書いている。年齢も様々で、ローレンスと同じくらいの年の者からもはや隠居暮らしをするべきと思わせるような高齢者までいる。その誰もが、ローレンスと衛兵が部屋に入って来ても見向きもしない。それぞれの受験者は高そうな衣服を身に纏っている。ローレンスが部屋の中を眺めていると、その間に衛兵は試験官と話をしていた。そして試験官がローレンスのそばに寄って来た。
「じゃあ、そこの席について。これをやってくれ」
 ローレンスは二枚の紙を手渡された。
「制限時間は特にない。全部できるか、あるいはもうできないと思ったら前に持って来るように」
 ローレンスは一番後ろの椅子に座って問題に取り掛かった。
(えっと、何々…。第一問、アルバラルカスの五人の側近の名を書け、か。簡単簡単、僕を誰だと思っているんだ。次は、アーリー茶の生産高が最も高い地域を順に五つ書け、と。えっとこれは確か…)
 公子たるローレンスは当然、十分な教育を受けている。従って普通の人には難問と映る、合わせて五十にも及ぶ問題も難無くこなしてしまった。答案を持って立ち上がると、他の受験者がローレンスの方を振り返った。そんな様子も意に介さず、ローレンスは椅子にふんぞりかえっている試験官に答案を渡した。
「もうあきらめたのか。だから言っただろう、無理だって」
 答案を見ながらそう言っていた試験官は、顔を挙げて驚嘆の声を上げた。
「も、もう全部終わったのか」
 しかしすぐに平静を装って言った。
「まあ、正当率が問題だからな。隣の部屋で待っていろ。すぐに採点をして結果を教える」
 言われた通り、ローレンスは隣の部屋で待っていた。この部屋には簡易ベッドが二つ設けられていた。おそらく宿直室なのであろう。
(こんな部屋で待たせるなよ。…しかしここはどういう所なんだ。周りの建物の様子からすれば、ただの金持ちの家じゃないな。やたらと敷地が広くて、兵舎はあるしシャンナ小屋もあるし。軍が常駐しているような所で一体誰に何を教えるんだろう)
 窓の外を眺めながらぼんやりとしていると、先程の試験官が入って来てローレンスに告げた。
「これから面接を始める。ついて来い」
 試験官はまじまじとローレンスを見ていた。
(面接ってことはさっきのテストは合格、という訳か。こんなナリをした奴がどうしてって顔だな)
 ローレンスが笑みをこぼすと、試験官は顔をしかめた。そして背を向けて部屋を出て言った。
「早く来い」
 言われるままにローレンスは部屋を出て男の後をついて歩いた。長い廊下を歩き階段を上り、延々と歩かされた末に着いた部屋は大層立派な広間であった。左右には大きな窓が並び、その前には衛兵が直立不動で並んで立っている。天井には美しい絵画が描かれ、床には赤い絨毯が入り口からずっと伸びている。その絨毯の終点には豪華な細工を施された椅子があり、そこには口ひげを蓄えた筋骨たくましい中年の男が座っていた。刺繍のある派手な服を着ていて肩からは赤いマントをつけている。短く刈り込んだ青い髪の上には宝石をちりばめた冠があった。試験官が片膝をついて礼をしたので、ローレンスもそれを真似た。
「ほう、そなたか。あの試験で満点を取ったというのは」
 その男からローレンスは何とも言えない迫力を感じて、息を呑んだ。
「自己紹介がまだだったな。わしはエアリアー・ファーン」
(ファーン?こ、国王…)
 ローレンスは驚きの表情を隠せなかった。しかし国王はそんなことはお構いなしに言葉を続けた。
「そしてここにいるのが息子のエアルスだ」
 国王に気を取られて気が付かなかったが、玉座の隣には十歳ぐらいの少年が立っていた。父親と同じく青い髪をした、利発そうな少年である。髪の毛は少し長めで、その上には簡素な王冠を乗せている。その瞳には知性の輝きが見えるが、幼くもあれば表情はまだあどけない。それでも着ている服の上等さや厳しく躾けられたであろう立ち振る舞いからは、とても子供とは思えないような気高さを漂わせている。生まれながらの王という感じだ。公子であるローレンスは自分にもそのような雰囲気があるのだろうか、と少し心配になった。
「教養は申し分ないとなれば、後は教えてもらう本人が人物を判断するが一番だからな」
 ローレンスはようやく事態が飲み込めた。ここはファーン王国の王宮であり、自分は王子の家庭教師を希望してここに来た、ということになっているのだ。
(誰だ、あんな所に王子の家庭教師募集の紙なんて貼ったのは)
「僕はこの人がいい」
 ローレンスが混乱した頭脳を修復している間に、エアルスは言った。その言葉を聞いて国王は息子の方を向いた。
「まだ何も、質問どころか名前さえも聞いていないではないか。そう簡単に決めていいのか」
「この人がいい」
「…わかった。決まりだな」
 あまりに事態が急速に進むので、ローレンスは面食らった。
「ということで決まりだ。早速、明日から来てもらおう。詳しいことはその者に聞け」
 国王は試験官を指さした。
「では、下がってよいぞ。…ああ、それと、明日からはもっとちゃんとした服で来るように」
 試験官とともにローレンスは一礼して部屋をでた。こうしてローレンスはあっさりと仕事を見つけたのであった。その帰りの道、ジェイムズに急いで服を仕立ててもらわなければ、と思った。

 NOAHの内部では、食事を終えた五人がそのまま食堂で会議を始めていた。
「今のところ魔神とは二体と遭遇した。そのうちの一体は俺とルノーがソロレシアで発見したジグ。こっちはどうにか追い払った。損傷があるから、しばらくは出て来ないだろう。そしてもう一体はペギラとマリエがここで発見した、…ペギラ、識別はできたのか?」
「いや、駄目だった。悪いね」
「そうか。まあ、とにかく二体発見、それから会王朝の砂漠地帯に出現したという奴を含めて三体の魔神の所在を確認できたという訳だ」
 ラナンは確認するように状況を説明した。
「それでこれからだが、魔神はそのスペックには目を見張るものがある。我々の機体じゃ一対一ではとてもかなわない。だから先程も言ったように全員で一体の魔神とあたり、順々に潰していく」
「まあ、それしかないだろう。問題点はいろいろとあるがな」
「問題点?」
 ルノーの言葉に対してミーナが疑問を投げかけた。
「例えばいちどきに複数の魔神がそれぞれ別の箇所に現れたらどうするのか。いや、それ以前に三チームに別れても発見にあれだけかかった魔神だ。今、大体の所在位置が分かっている奴はともかく、ほかのを一ヶ所に固まっていてどうやって見つけるのか」
「そういったことはその都度、考えて対応していくしかないだろうな」
「そうだね。柔軟に、臨機応変に」
 ペギラがそう言ってコーヒーをすすったとき、思い出したようにラナンが尋ねた。
「そういえばペギラ、おまえが以前にこの世界の人間と協力して倒した魔神は一体どんなやつだったんだ」
「ん?ああ、あれね。あれは確か…、死神ヴァルズだ。あの時は驚いたね。現地の人間があろうことか神として崇めていたんだからねぇ」
 そう呟くペギラの視線は中空を彷徨っていた。懐かしがっている、という訳ではなく、その時の状況を確認しながら思い出しているかのようだった。
「あの時はお前、モーターフィギュアは持って行かなかったよな?生身でどうやって倒したんだ」
「なに、簡単なことさ。それはね…」
 ちょうどその時にアラームが鳴った。
「どこかからコールか。よし、みんな、一度ブリッジへ移ってくれ」
 ラナンに言われて食器もそのままにブリッジへと急いだ。ブリッジのモニターにはまだ十代ぐらいの少女の顔が映り、なにやらわめいていた。不似合いなスーツの襟元にはアルケン社の社章が着いている。どうやらアルケン社から来たらしい。
「だれもいないんですかぁ。もしもぉし、だれかぁ」
 甲板の上で叫んでいる少女を苦笑交じりに見ていたラナンは、スイッチを押して答えた。
「ああ、済まない。ちょっと立て込んでいたものでね」
「あ、よかったぁ、いたんですねぇ。せっかくの初仕事なのにだれもいなかったらどうしようかと思ってたんですぅ」
 その独特の口調に面食らいながらもラナンは聞いた。
「君は?見たところ、アルケンから来たみたいだが」
「わたしはぁ、今度サラさんに代わってこの船のメカニックとして参加するニナ・ウェンダと言います。よろしくお願いしますぅ。早く入りたいんで、開けてくださぁい」
「あ、ああ」
 ブリッジに上がったニナを皆はジロジロと見た。どう見ても十五、六歳。後ろで手を組み、片足をブラブラさせながら首を傾げて笑顔を浮かべている。本当に大企業の正社員なのだろうかと思わせるような外見と仕草であった。
(大丈夫か、こんなので)
(サラの代わりが務まるのかしら)
(こいつが整備したマシンに乗らなきゃならないのか)
(こんな小娘に任せて帰って来いっての?心配だわ)
(うわあ、可愛い娘)
 ニナに対する第一印象は、ペギラを除いて皆、同じようなものであった。
「あのぉ、どうしたんですかぁ。わたし、そんなに見つめられたら恥ずかしいですぅ」
 どこまでも変わった少女だと思いながらラナンは答えた。
「あ、ああ。悪かった。俺がこのチーム、クルセイダーズの…」
「リーダーのラナン・ニアノさんですね。それでそちらがルノー・アクランさん。ミーナ・メガエラさんにペギラさん。でもぉ、マリエ・カシンさんがいらっしゃいませんねぇ」
「マリエは医務室で休ませている」
 一応、ビジネス上の付き合いでもあれば初対面でもあるし、ラナンは極力、冷静に受け答えをしていた。
「そうなんですかぁ。あとで挨拶を兼ねてお見舞いに行って来ますぅ」
 それでもこのしゃべり方だけは注意したくはなるのであったが。そんなラナンにはお構いなしにニナは書類を取り出して見せた。
「これにサラさんとラナンさんのぉ、サインを戴きたいんですがぁ」
 まずはサラが、そして次にラナンが書類に目を通してサインをした。
「これで引き継ぎは終わりですぅ。サラさんはわたしが乗って来たぁ、あのマシンで帰って来るようにとのことですぅ」
 ニナが指さした方向には、一人が乗れる程度の小型のマシンがあった。
「これ、もう使えるの?超次元装置の小型化はまだ実験段階だったはずじゃないの」
 サラの驚きをよそにニナはマイペースで話していた。
「それじゃぁお疲れ様でした。後は任せてください」
 サラはマシンを眺めたりなでたりしながら言った。
「じゃあ、わたしは会社に戻るわ。がんばってね」
「ああ、サラも気を付けてな」
 そして小型超次元艇は静かな振動と共に消えていった。

「これが三神器の一つ、月光の鏡。知っているかもしれないけど、陽輝の剣は幕府が、星屑の勾玉は朝廷が、そしてこの鏡は神殿が管理している」
 翔と光明は神殿内を生駒に案内されて歩いていた。ここは御神体を祭っている部屋である。この部屋で生駒は翔と光明に説明をしていた。とは言っても光明はもう既に知っているようなことばかりなので、その説明はほとんど翔のためのものであった。
 生駒が示す方向にある鏡は、半径がちょうど手を広げたぐらいの大きさで、高い台の上に置かれていた。薄暗いこの部屋の小さな天窓から差し込むわずかな光を受けて、鏡は美しい光沢を放っていた。何気なく見ていた翔は、ふと気がついた。鏡には何も映ってはいないことに。だが、それは遠目でよく見えないせいかも知れないと、あまり気にしなかった。
「普通は部外者に見せちゃいけないんだけどね、君たちは特別。で、面白いのが、三神器は建国と共に伝えられて来たらしいけれど、何に使われていたのかは一切不明なんだ。今じゃそれぞれ天皇、将軍、大神官長の証しになっている」
 すでに知っている話ばかりの光明には退屈なものではあったが、翔にとっては新鮮で興味深かった。
「じゃ、次に行こうか」
 御神体の間を出て中庭を歩いているときに、不意に三人の前に黒い影が現れた。
「何者」
 光明はそう叫び、すでに手は腰に差された刀の柄を握っていた。翔も右足を引き重心を落として身構えていた。ただ生駒だけは驚き立ちすくんでいた。
「光明様、緊急事態でございます。至急、お戻り下さい」
 その影の正体は風魔であった。いつも無表情の男にしては珍しく青ざめた顔をしている。風魔はこの陽京行の間は将軍付、すなわち将軍の側から一時も離れずに警護をする立場にある。それなのに単独で光明の前に現れた。それことから、容易ならざる事態であることがすぐに予測される。
「分かった、すぐ戻ろう」
 光明もそれを察して何も聞かずに了承した。
「翔、先に戻っているからな。生駒、翔のことは頼んだぞ」
 風魔が用意しておいた馬車に光明らは乗り込み、その場を去った。
「一体何が起きたというのだ」
 馬車の中で光明は風魔に尋ねた。風魔は普段から、必要がなければほとんど喋ることのない人間である。しかし今回ばかりは話したくても動転していて口が上手く動かない、といった様子である。だから風魔はしばらく何も言わなかったが、光明は黙って返答を待った。やがて風魔は意を決したように話始めた。
「閣下が暗殺されました」
 簡潔な内容であったが、光明に衝撃を与えるには充分過ぎるほどであった。今度は光明にしばらくもの言えぬ状態が訪れたが、気を落ち着けて尋ねた。しかしその声はかすれていた。
「一体、誰に?」
「まだ断定はできませんが、おそらく阿部の手の者かと思われます。何分、私が気付いた時にはもう閣下は暗殺され、刺客も消えておりましたゆえ…。ただ、残された刀は丹波忍軍のものでした。御存じのとおり、丹波を召し抱えているのは阿部、十條、朱帆。この中で閣下が邪魔だったのは…」
「…阿部だな、やはり」
 その光明の言葉の後には沈黙が続いていた。
(父上が…、暗殺?あの登陽一の戦上手、剣においても登陽で三指に入るとまで言われた父上が。あの立派な父上が…、母上に次いで父上までもがいなくなるというのか。なぜだ、一体なぜだ。明日香にはなんと言って知らせればいいのだ)
 そこで光明は風魔に向かって叫んだ。
「風魔、お前は将軍付だろう。なぜ防げなかった」
 風魔は下を向いたまま答えた。
「申し訳ありません。ちょうどその時は閣下より直々の命があり、出ておりましたので…。しかしこの償いとして事件解決の暁には切腹の御許可を願いたいと思います」
 風魔の顔を見て光明は平静を取り戻した。
「いや、すまない。お前を責めてもどうにもならないことなのに…。父上も恨んでなどはいないさ。それで、このことは?」
「私の他には、誰も知りません」
「そうか。ならば取り敢えず南雲を呼んでおいてくれ。南雲には大京へ戻って叔父上…、副将軍に知らせてもらい、その判断を仰ごう」
「分かりました。では宿に着きましたら南雲を光明様の部屋へ向かわせます」
「ああ、頼む。遺体はどうした」
「血を拭い服を替えて布団に寝かせ、見張りには閣下はお休みになられているから、声がかかるまで決して部屋には入らぬようにと言い含めておきました」
「そうか、すまん。…くそっ、なんてことだ」
 光明は瞳を怒りと悲しみにたぎらせて拳を握ったまま宙を睨みつけていた。

 一方、残された翔は生駒と一緒に中庭で話をしていた。
「一体何だろう、風魔が来るなんて」
「あれが風魔?翔君、風魔を知っているんだ」
「ええ、ちょっと面識がありまして。なんでも相当に有名な人らしいですね」
「本人は知っていても、評判は聞いたことないのか。僕も見るのは初めてだけど名前は何度も聞いたことがある。そうか、あれが風魔なのか」
 生駒はなにやら感心したようにしきりにうなずいていた。その様子を見ながら翔は考え事をしていた。
(風魔も十二神将とかいうやつだったけ。そういえばこの生駒夏澄って人も…)
「ん?何だい」
 翔が自分の方をじっと見ているのに気が付いて生駒は言った。翔は少し躊躇したが、ペンダントを手に取って言った。
「この石のことなんですけど…」
「うん?それがどうしたの」
「さっき生駒さんが持っていたオニキスとは仲間みたいなものらしいのです」
 生駒は占いのときのことを思い返した。
「ああ、あの時の話か。君達が途中で話をやめた、あの時のだね。もっとも話したくないのは君じゃなくて光明君のほうだったみたいだけど」
「実はこういった種類の石を持つ人が十二人いるらしいんです」
「ふうん。で、それが?」
 生駒は興味があるのかないのか判断つきかねる表情で聞いていた。
「どうやらこの石を持つ者、十二神将と言うらしいんですが、その者は何か重要な人物らしいのです」
「初耳だな、あの石にそんな秘密があったなんて」
「俺だけじゃなく、光明やさっきの風魔、そして生駒さんもその一員なんです」
「なるほどねえ。で、僕に何をしろって?」
 そう言われて翔は戸惑った。自分の知ることを話してはみたものの、それでどうしようということは一切考えてはいなかったからである。
「それで…、あの…、光明は簡単にそんな話を信用しない方がいいというんですけど…」
「同感だね、そんな胡散臭い話は信用ならない」
 生駒にあっさりとそう言われ、翔は言葉を失った。そして光明がこの場からいなくなったので話し始めたことではあったが、そもそもどういうつもりで、何を聞こうと、あるいは何を言って欲しくて話し始めたことであったか自分の中ではっきりしていないことに気がついた。あるいは何か心で引っかかっているものを、この年長者が解決してくれそうな気がしたからなのかもしれない。
「でもそれが原因で俺はこっちの世界に連れて来られたんです」
 その時、初めて生駒は驚いた顔を見せた。
「そういえばさっきもそんなことを言っていたね。なるほど、道理で変わった素材の服を着ている訳だ」
 ジロジロと翔の服を見ている生駒に気が付いて、翔も自分の服を見た。しかしその事についてはあまり深く突っ込まずに、生駒はすぐに話題を元へと戻した。
「まあ、石が嘘か真かはともかく、今すぐどうこうしろって訳じゃないんなら、何かあるまで放っておけばいいじゃない。またその時が来たら考えればさ」
 生駒の答えを聞き、翔はいくらか拍子抜けした。
「それとももう、何か重大な事件でも起きているのかい?」
「そういうわけじゃないんですけど…」
「まあ君にとっては異世界に連れて来られるという大事件が起きているみたいだけど、ほかには何もないんだろう?じゃあ、気にすることはないんじゃないの。一応、心の隅には留めておくけどさ」
 翔は少し考えてから言った。
「それもそうですね、ありがとうございます」
「僕は何も礼を言われるようなことはしてないけどなあ」
 そう言って生駒は笑い出した。翔もそれにつられて笑った。

 皇居では天皇の私室で天皇と阿部がひそひそと話をしていた。本来ならば天皇が誰かと面会をするときには、そのために作られた謁見の間を使う。しかし周りに人が多い謁見の間ではとても話せないような事を相談するため、天皇は自分の部屋へと阿部を招き入れたのだった。そもそも天皇は、その身の安全を図るために常に何者かが周りにいる。そのためプライベートな空間や時間といったものはほとんどない。唯一、それが獲得できるのはこの私室に一人でいる時だけなのだ。天皇の私室というのは神聖なる領域であるから、通常、皇族以外は立ち入ることはできない。もしその禁を破って入室する者があったなら不敬罪となる。この場合は天皇が許可したのだから、彼自身も皇位剥奪どころでは済まない。ゆえに阿部を部屋にいれるのに天皇は誰にも見つからないようにと苦心したのであった。禁忌を破りそんな苦労をしてまで阿部の入室を許可ということは、事態が非常に切迫しているという証しでもあった。ところが阿部はと言えばこの世界の人間ではないため、天皇の私室に入るのにも全くためらいを見せず、それどころか部屋に入ってからも辺りをきょろきょろと見回して観察をしていた。そんな阿倍の様子は、少なからず天皇を驚かせ、苛立たせた。
(広いし置いてあるモノなんかは上質そうだが部屋の中は汚いな。まあ、皇族以外入れないんじゃあ、ロクに掃除なんかしていないんだろうから当然かもな)
 阿部は危険を冒してまで中に入れてくれた天皇がオドオドとしている様子も気に留めずに、部屋の中を見ていた。阿部が何も言わないので、天皇の方から話し始めた。
「本当に大丈夫なのであろうな」
 情けない声で天皇は阿部に問いただした。阿部はあまり感情のこもっていない声で答えた。
「まあ、任せておいて下さい。将軍がいなくなれば幕府も皇子誘拐の事などかまっている暇など無くなります。さらには大政奉還も容易になることでしょう」
「しかしそれがそちの仕業と知れたら…」
 阿部は黙って笑みを見せただけであった。まるで愚者に答えを与えるのを勿体振るかのように。そして天皇の心配気な顔をしばらく眺めてから口を開いた。
「なに、心配は無用です。刺客には丹波の者を使いました。それも頭領である丹波十白の愛娘である蛍火を。彼女はかなりの腕前と聞きます。きっと上手くやってくれるでしょう」
「しかし将軍の側には風魔がいるではないか。彼を出し抜くことのできる忍びはいないと言うぞ」
「その点も考えてあります。風魔を将軍の元から引き離すために、ちょっと細工をしておきました。それに万が一、失敗しても私が放った忍だとは分かりませんよ。丹波の中でも蛍火というのは本来、十條に仕える身でしてね。丹波十白から蛍火の方へ今回の任務を伝えてもらいました。依頼主は私だということは内密にするように言い含めてね。ですから仮に蛍火が捕まることがあっても、私の仕業とは分かりません。ということは、誘拐事件とは関連のない、十條の将軍に対する反乱でしかなくなります。こちらに害が及ぶことはありません。まあ、私の仕業と考える者はいるかもしれませんが、決定的な証拠がない以上、何とでも言い逃れはできます」
「で、では安心してもよいのじゃな?」
「無論です」
 阿部の説明を聞いて、天皇はあからさまに機嫌が良くなったようであった。しかし天皇はふと気が付いて聞いた。
「しかし、しかし万が一、将軍の暗殺に失敗するようなことがあったらどうするのだ。将軍自身も御剣、川原崎と並び称される剣の達人だぞ」
「そういったことに対する準備はもうしてあります。私は勝算のない戦いを仕掛けるような真似はしませんよ」
「そ、そうか。そちが味方で良かったわ」
 天皇は喜々としてお茶を飲み干した。その様子を横であざ笑うかのように眺めていた阿部は、やがて思考の奥へと自らの意識を移した。
(丹波が成功しようが失敗しようがどちらでも構わない。もし成功すればそれはそれで良い。万が一失敗しても、十條が放った忍ということになっているから十條に責任がいく。大政奉還後に関白になるための障害が一つ減ることになる。どっちに転んでもこっちに有利に働く。後は結果待ちだ)
 黒い野望を秘めた阿部の目が、怪しく光った。

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