第四章 予兆−巨星堕つ

第五話 依頼

陽京の西の外れに阿部はいた。賢人の議を控え、その権力は停止されたままではあったが、行動までは制限されていない。そこで阿部は、次に起こるであろう事態を予測し、そのための準備を進めることにしたのだった。
 都から少し離れた北の山。章形山というらしい。その山中、訪れるものなど誰もいないかのように静かな林の中。阿部はたった一人でその林へと来ていた。彼が目指していたのはその中にある小さな庵であった。ここに世を離れて住む一人の男に用事があって来たのだ。ここに来るまでに後をつけている者がいないかと阿部は多少、心配はしていた。しかし、振り返って確認することはしなかった。というのも、彼自身は元々がただの大学生であり、仮に忍などが隠れて様子を窺っていたとしても分かるはずもなかったからである。だから逆に、あたりに気を遣っている様子を見せたりすれば、ここに特別な用事がある、ということを悟られるだろう。だからこそあえて、周りを気にする様子など見せずにここまでやって来たのだった。だから当然、阿部はその庵に着いた時も、辺りに誰もいないことを確認することなどはしなかった。そして彼は戸も叩かずにいきなり開けようとした。
「何の用だ」
 戸に手をかけた途端に中から声が聞こえたので、少なからず驚いたが、それでも構わず戸を開けて中に入った。中では初老の男が一人、背を向けて囲炉裏の前に座っていた。
「あんたの力を借りたい」
 阿部は庵の中へと上がらず戸口に立ったまま、そう切り出した。男は振り返ることもせずに答えた。
「今のわしは庵を結んで余生を過ごすだけの者。人の世とは関わりを持たぬ身。わしのような老人に何を期待しているかは知らぬが、貸せる力などはない。立ち去るが良い」
 しかし阿部は男のそんな言葉にはお構いなしに言った。
「近々、大きな戦が起こる。あんたの出番がやってきたんだ」
「…わしが何者かは知っているようだな。しかし、わしはもう剣は捨てた。わしの登るべき舞台は、…もうない」
「御剣に指南役の座を取られてイジケているのか?」
「何とでも言うが良い。わしはもう、剣を握らぬ」
 男は依然、静かなままであった。
「そうかい。じゃあ、これはもういらないな」
 そう言うと阿部は土足のまま中に上がり込み、壁に掛けてあった刀に手を伸ばした。
「それに触るな」
 男は怒号をあげ、振り返って阿部を睨みつけた。その鋭い眼光を阿部は正面から受け止めた。
「やっぱりな。あんたはまだ未練があるんだ。それはそうだな。剣聖とまで呼ばれ、この名刀・雲隠まで賜与されたほどの男が、理由もなく幕府の剣術指南役から外されたんだからな」
 この男こそ川原崎慧斗。かつて将軍・東山光秀、先代幕府剣術指南役・御剣宗近と並ぶほどの剣の達人であった。
「言うな」
「御剣と直接戦った訳でもないのに、指南役を外された上に領地も召上げられたんだもんなあ。納得いかないよな」
「将軍が、御剣こそが指南役に相応しいと判断しただけのことだ」
「でもあんたは本心ではそう思っていない」
「若造に何が分かる」
 顔には深い皺が刻まれ、頭髪には白髪が混じり始めた初老の男ではあったが、それでも人生に疲れた様子などはない。静かではあったが、その声には人を圧倒する雰囲気があった。しかし阿部はそんな男の様子に気圧された様子はない。むしろ嬉しそうですらあった。そして相手を挑発するかのような言葉を続けた。
「ああ、分からないね。自分の力を認められなかったからって、こんな所で一人でイジケてる爺さんのことなんか。なぜこんな所にいるんだ?世を捨てるなら、こんな都に近い所ではなくもっと田舎へ行けばいいだろうに。結局あんたは、まだ未練があるのさ」
 老人は後ろを向き、
「帰れ」
とだけ言うと、それきり黙ってしまった。阿部はしばらく立ちすくんでいたが、何の進展も期待できないと思い、立ち去ることにした。ただしその時にも置き土産は忘れなかった。
「今度の戦、幕府方からは御剣が出てくるだろうな」

 波乱の学術会を終え、水瀬は陽京へと帰って来ていた。普段は周りの状況に影響されることなどないと自分では思っていたが、久々の母国の空気はやはり何か懐かしいような気がした。そのせいか、旅から戻ったばかりではあったが、すぐに家に帰らずにどこかへ寄っていこうかと思ったほどである。時刻は昼を回った頃。学問所に行くには中途半端な時間でもある。他に彼がよく行く所と言えば幕府資料館ぐらいしかない。しかし、今日は屋内に行きたいような気分ではない。これもまた、水瀬にしてみれば珍しいことであった。老成しているようではあっても、彼とてもまだまだ少年と呼べるような年齢であるし、『外国帰り』ということが本人も気がつかぬうちに彼を軽い興奮状態にしているのかもしれなかった。結局、水瀬は開放庭園に行くことにした。開放庭園とは、幕府によって整備された庭園の一つで、その名の通り一般の人々にも開放されているものである。普通、庭園は貴族や大名の屋敷にしかなく、一般の人々が目にすることができる機会は滅多にない。例外的に各地の観光地でそれぞれに整備された庭園を見ることができるぐらいのものである。当然、中には死ぬまでお目にかかれない者もいるだろう。しかし、東山幕府成立後、将軍が一般の人にも庭園の美しさを知ってもらい、文化的な心を育むことを目的に大京城の北の丸の庭園を整備し直し、一般開放したものである。この開放庭園の設立に当たっては、幕府の内部からは非常に多くの反対の声が上がった。それもそのはずである。大京城の中では本丸からは一番離れているとは言え、将軍の居城の敷地内である。将軍の身の安全を考えれば好ましくないということは言うまでもない。それでも将軍は反対の声を押し切って実行した。あるいは貴族出身ではない将軍の心の中に、庭園が主に貴族たちの特権的な趣味になっていることを苦々しく思う気持ちがあったからかもしれない。とにかく、ほぼ将軍の独断により開放庭園が実施されたのであった。
 水瀬が開放庭園に着いた時、その広さとあまりの人の多さに驚いた。実際には人間の密度はそれほどでもないが、数で言えば目に見える範囲だけでも相当なものであった。庭園の広さのために狭苦しさはないが、それでもこれほどに多種多様な大勢の人間は見たことはない。自分は働かなくても金が入ってきてしょうがないといった風な商人やもう仕事は引退してしまったらしき老人、家族連れ、浪人、観光できているらしい外国人など様々な種類の人々が植木を眺めたり草の上に寝転んだり、池の鯉に餌をやったりしている。水瀬自身はここに来たことがなかったから、普段と比べて人が多いのかどうかはわからない。しかし、何でもない日の昼間にこんなにたくさんの人が一箇所に集まっていることに多少、驚いたことは事実である。
(人気のある場所なんだな。そう言えば、ここができた時は結構話題になっていたっけ)
 そんなことを考えながら水瀬はそこに配置された木々や池を眺めながら歩いた。こういった風景はまさに陽登のものであり、ラードルールでは決して見ることができないものである。特に水瀬は、こういった風景が嫌いではない。むしろ好きと言える。故にただ何とはなしに歩き回っているだけでなんだか気分が良くなり、『陽登に帰って来た』ということを改めて実感するのであった。
(国外に出て改めて母国の良さを知る、か。ずっと同じ状況では精神も硬直してしまって、その状態を当然と感じてそれが良いのか悪いのか判断がつきづらくなってしまう。おそらくストラーが言っていたのも、こういうことなんだろうな。決められた売り手、決められた品物、決められた価格…。安いのか高いのかなんて判断はつかない。そしてそれは俺が考えていることにも言えるかもしれない。武力によって確立された政権、そこから続く血による支配。これが何代にも渡れば、やはり当然のものと感じる。為政者がふさわしいのかそうでないのかを考えることすらない。より純粋な血統のみを求めるようになっている。…人間はもっと、いろんなことを知る必要があるな)
「きゃっ」
 考え事をしながら歩いていたためか、水瀬はぶつかるまで前に人がいることに気がつかなかった。
「済まない、ぼうっとしていて…」
「ん、大丈夫」
 そう言って振り向いた少女は、艶やかな黒髪と深い漆黒の瞳を持つ美少女、東山明日香であった。
「あら、水瀬君。お帰りなさい」
「あ、ああ」
 水瀬は多少、狼狽しながら答えた。
「どう?成果はあった」
 水瀬は一瞬、何を聞かれているのかわからなかったが、思い直して答えた。
「ま、それなりにはな」
「ふうん。いつ帰ってきたの?今日は学問所には行かないの?」
「さっき着いたばかりだ。それより君こそ何でこんな所にいるんだ?」
「あら、ここは私の家の庭よ。私がいたら、おかしいかしら」
 確かにここは明日香にとっては自分の家の庭とも言える。しかし水瀬が言いたかったのはそんなことではない。
「学問所に行かなくていいのか、という意味だ」
「分かってるわ。あんまり本気に受け取らないでよ。…今日はちょっと、出かけられないの」
「そうか」
 水瀬は深く追求しなかったが、おそらく将軍家として何かあるのだろうと考えた。
「でもずっと部屋にいるのも退屈だから、ちょっと散歩をしていたの」
 明日香が出かけられないのには相応の理由があった。というのも、将軍が暗殺され、将軍家に対して何か不穏な動きがあると感じた副将軍が明日香の外出を禁じたのだ。副将軍は明日香にその理由は告げなかったが、明日香自身も自分の身の安全に関わりのあることなのだろうとなんとなく感じていた。ついこの間、ソロレシア帝国皇子の誘拐事件があったばかりであるから、なおさらである。そういった意味では、水瀬の考えはあながち外れでもなかった。
「水瀬君って、よくここに来るの?」
「いや、初めてだ。実を言えば、何故ここに来ようと思ったのか、自分でもよく分からない」
「そういうこと言うなんて、珍しいわね」
「そう、かもな」
 明日香に言われて、水瀬自身も今日の自分は何かいつもとは違うということを感じ始めていた。
(何だか今日はおかしいな。上ずっている、と言うか何と言うか…。こんな所に来ようと思ったのも普段じゃあり得ないことだ)
水瀬がそんなことを考えているのにもお構いなしに、明日香は尋ねた。
「ね、ラードルールのことを聞かせてよ。私、行ったことないの」
 草の上に座って水瀬を見上げてそう言った明日香の目は、輝かんばかりに好奇心に満ち溢れているかのようだった。
「ああ」
 そう言いながら水瀬は明日香の隣に座って話し始めた。
「まず最初に感じたのは、あれだけ文化文明が発達した国でありながら思想の自由が全く確立されていないということだな。俺の意見は罵声を浴び、昔からある論文を焼き直したようなやつが美辞麗句をもって称えられる。自分に受け入れられない考え方を一方的に排除しようという考えが丸見えだ。そのうえ、言葉に対して暴力をもって応えようとする輩もいた。文化の中心と言われるほどの国だからそれなりに期待をしてはいたんだが、少しばかりがっかりしたという思いはあるな。世界で一番古い歴史を持つ国でありながら、いや、古い歴史を持つ国だからこそかも知れないが、いつまでも伝統の上に胡坐をかいて排他的な態度をとり続けるようならいずれその文化文明は廃れていくだろう。実際、ラードルールの芸術家の一派には、懐古主義に走り始めている者もいると聞く。芸術の話を全ての分野に適用するのは相応しくないかもしれないが、ラードルールという国がかつてほどに世界の最先端を行く、ということはできなくなってくることは間違いないだろう」
 水瀬が一気にそこまで言った時、明日香は水瀬の顔を見ながら言いにくそうに言った。
「…なんか、色々と大変だったみたいね。でも、あの…、ごめんね。私が聞きたいのは、学術会のことじゃなくて、ラードルールはどんな国だったかを聞きたかったの」
 それを聞いた水瀬は、キョトンとした顔をしてから何度か頷いて言った。
「ああ、そうか。悪かったな。あんまり面白い話じゃないものな。だが、俺だって長い間いた訳じゃないから、そんなに話すこともない」
「うん、それでもいいの。聞かせて」
「そうだなぁ…」
 そうして水瀬は、自分が分かった範囲でのラードルールの建築物や文化、風習について話し始めた。

御前試合の翌日、ファクトは国王に呼び出された。普段は昼前なってから起き出す彼にしてみれば、例え相手が一国の王であって断りたいものであった。だが、伝言に来た若い兵士があまりにもにこやかな表情をしているので、断るどころか文句の一つを言う気すら失せてしまった。兵士は帰り際、
「昨日の決勝戦は私も拝見しておりました。残念ながら準優勝に終わってしまいましたが、どちらが勝ってもおかしくない試合だったと思っています」
と目を輝かせながら言った。
「ああ、ありがとう」
 そう答えながらもファクトは、文句なんか言わないで良かった、と思った。
そうしてファクトは、顔を洗い鎧を着込んでマントを付けた。以前に一度、インベオ大公に呼び出された時もそうであったが、傭兵であるファクトには正装といえる服などはない。あえて言うなら、鎧とマントこそが戦士としての礼装である。ただ、王宮に入るのなら帯刀は許されないであろうと考え、愛用の剣は部屋に置いて行くことにした。
 御前試合出場者の宿は王宮と同じ敷地内にあったため、歩いてそれほどはかからなかった。そもそも選手用宿舎は普段は外国からの使節団などを迎えるための施設であり、当然、保安を重視して警護しやすいように王宮からそれほど遠くないところに建てられている。さすがに目と鼻の先、というわけにはいかないが、それでも異国の客人が散歩がてらに歩いているうちに着くほどの距離ではあった。
 王宮に着いたファクトが通されたのは、玉座の前であった。国王直々の呼び出しであるから当然といえば当然ではある。しかしインベオで大公とも直接面会したこともある彼は、さほど驚きはしなかった。
(その腕を見込んで頼む、我が国の将軍として働いてはくれまいか、なんて話じゃあないだろうな)
 冗談とも本気ともつかずそんなことを考えながら、ファクトはあまりキョロキョロしないように気を付けながら部屋を見回した。国王であるエアリアー・ファーンはもちろん玉座に座っているが、その横にはフィリー・メンダが立っている。自分の右側には誰もいないが、左側の壁際には自分と同じぐらいの年齢の男が二人、立っていた。一人は金髪、一人は茶色がかった黒髪。外見から察するに、西方民族らしい。よく見ればその二人は、決勝戦後の特別試合に出場した二人だった。
(王子の家庭教師と今はなき帝国の皇子、とか言っていたな。皇子の身柄は王国で預かることにでもなったのか?…ま、俺には関係ないことか)
その他には、この部屋には誰もいない。自分をここまで案内した近衛兵も退室してしまっている。考えてみれば非常に無用心であり、普通ではない。これほどまでに人払いをするということは、何か重要な話なのだろう。
(一体、何の用だ?皆目、見当がつかない)
 不審に思っていると、もう一人、近衛兵に連れられて男がやって来た。昨日、ファクトと決勝戦で戦った相手、火浦拳である。火浦は自分の右隣に立った。そうすると彼を案内した近衛兵もやはりすぐに退室した。部屋の中には六人の男しかいない。しばらく皆、黙っていたが、状況を確認したかのように国王が頷くと、フィリーが口を開いた。
「ルザル・ファクト殿、火浦拳殿。今日、お二人をお呼びしたのは、その腕を見込んで頼みがあったからだ」
 四人並んでいながら二人しか名を呼ばれないことをファクトは不審に思った。だが火浦は、そんなことはお構いなしにソッポを向いて大きな声で言った。
「人を朝っぱら呼び出しておいて他人にしゃべらせるのか。頼みがあるんなら、自分の口で言ったらどうなんだろうなぁ。国王ってのは随分と偉いもんなんだなぁ」
 その言葉に怒ったのは、国王ではなくフィリーだった。
「貴様、陛下の御前だぞ。慎め」
「慎めって言われてもなぁ…。いくら国王様と言っても、俺はこの国の国民じゃないし」
 ファクトはそれを隣で聞いていて自分にもとばっちりが来るのではないかと内心冷や冷やしていた。しかし火浦はお構いなしで挑発をするし、国王の左側に立っている二人のうち金髪の方はクスクスと笑っている。どうなることかと見守っていると、突然、国王が大きな声で笑い出した。
「陛下」
 フィリーは国王を諫めるように言ったが、国王は機嫌良さそうに火浦を見ている。火浦も不敵な笑みを浮かべてその眼差しを正面から受けている。フィリーが困っていると、国王は言った。
「いや、すまん。ここからはわしが話そう」
 軽く口ひげを引っ張ってから国王は主に火浦の方に向かって言った。
「火浦とやら、この国はどうだ?まだ若い国だが、その分、活気もあるだろう」
「ああ、まあな」
 相手が国王であるにもかかわらず、火浦はぞんざいな言葉遣いをしている。
「若い国というのはな、新しく何かを始めようとする者たちが数多く集まる。集まった人々はまた新たな人を呼ぶ。そうやって人々が集まった時が国を大きく発展させる好機でもある」
「それが一体何だと言うんだ?まわりくどいな。何が言いたい?」
 こんなことを言われても、やはり国王は笑ったままであった。
「そう結論を急くな。若さは時として大きな力になるが、あまり上ばかりを見ていると思わぬ所で足をすくわれるぞ。時には立ち止まって自分の足元を見つめなおすことも必要だ」
「俺が聞きたいのはそんな説教ではないんだが?」
 それでも火浦はひるまない。国王も笑っている。
「分かっている。…人々が集まった時は国を発展させる良い機会だ。しかし、そうやって集まってきた者の中には、良からぬことを考える輩もいる」
「…治安、か」
 先に結論を言った火浦を、国王は感心した様子で見つめた。
「そうだ。人々が集まった時こそ、治安は重要な問題であると言える。この国の悪い評判が広まっては国を発展させるどころではないからな」
「それで?」
 国王はここで一呼吸置いてから言った。その顔はもう、笑ってはいなかった。
「そこで、この国の治安維持のために力を貸してほしいのだ、火浦、ファクト」
 突然、自分の名前を呼ばれたので、ファクトは不意を突かれて驚いた。この場にいながら、まるで国王と火浦のみで話をしているように感じていたため、自分も当事者であることをすっかり忘れていた。
「協力してはくれまいか?」
 それを聞いて火浦は何か考え込んでいる様子であった。ファクトはその様子を横目で見ていたが、意を決して言った。
「お話はありがたいのですが、残念ながら、今のところ私は誰にも仕えるつもりはありません。自分の剣技を磨くため、旅をしている途中なのです。ひとつ所に留まる気にはなれません」
「俺も同感だな。俺はたまたま、この国に来ただけのよそ者だ。ここに腰を据えるつもりはない。まだそんな年でもないしな」
 二人の言葉を聞き、国王は軽く笑って言った。
「何もわしに仕えろというわけではない。治安維持にしろ、自国の人員だけでこと足りる。基本的には、な。ただ、ひとつだけ、仕事を頼まれてくれればいい」
 それを聞いて、火浦は多少、興味を惹かれたようだった。
「詳しく聞こうか」
「実はな、あまり知られていないことだが、二年ほど前からこの国では犯罪が増えてきている。普通の犯罪ならば、先程も言ったようにこの国の人間でどうにかなる。現に半年前からこのフィリーが治安維持を本格的に担当するようになってからは犯罪の検挙率も上がり、また、犯罪そのものも減ってきている。ただひとつだけ、困ったことがある」
「それは?」
「聞いたことはないか、『カード』の話を」
「カード?」
 火浦が困惑していると、ファクトが口を挟んだ。
「お前は陽登の人間だから知らないだろうが、ちょっと前までラードルールでは『カード』と呼ばれる盗賊がいたんだ。もっとも、最近はあまり姿を見せなくなったから引退したと思われていたがな」
「へえ」
 国王はファクトの方を見ながら言った。
「その『カード』が最近、ファーンに入り込んだらしい」
「そいつを捕まえて欲しい、というわけか」
「そうだ」
 火浦もファクトもそれを聞き、しばらく考え込んでいた。ややあってから火浦が口を開いた。
「なぜ、俺たちなんだ。そいつは盗賊であって武道家ではないんだろう?俺たちに頼むのは筋違いじゃないのか」
 国王はそれを聞いて口元に微かに笑みを浮かべて言った。
「そう、普通ならな。だがカードというやつは滅法、腕が立つようだ。実は先日、ある貴族の屋敷へ忍び込んだカードを、巡回をしていたフィリーの部下が発見して取り囲んだ。しかしヤツはその取り囲んだ五人をあっという間に打ち倒して逃走したのだ」
「なるほどな」
「やってみるかね?」
 火浦はしばし、何かを考えた様子だったが、やがて国王に向かって答えた。
「いいだろう、面白そうだ。俺の方は構わない」
「その方は?」
 不意に声を掛けられ、ファクトは一瞬、戸惑いを見せたが、すぐに答えた。
「お引き受け致しましょう」
 それを聞き、国王は笑って言った。
「よし、決まりだ。仔細はフィリーから聞くが良い」
 そうしてその場は解散となったが、火浦とファクトはフィリーによって別室へと導かれた。ファクトは部屋を立ち去る時に、自分の左側にいた二人が何の為に自分たちと一緒に呼ばれたのか疑問に思ったが、それを確かめる機会はなかった。
 ファクト達が案内された部屋はちょっとした会議室のようであり、中央に円卓が置かれ、その周りには六つの椅子が配置されていた。窓を背負うようにフィリーが座り、その正面に火浦とファクトは座った。最初に口を開いたのは火浦であった。
「で、具体的には何をすればいい?」
 先程からの火浦の物言いにフィリーはいらついているらしく、幾分、不機嫌な口調で答えた。
「カードを捕らえる。それだけだ」
「捕らえると言っても、いつ、どこに現れるのか分からなければどうしようもないだろう。それとももう、目星がついているのか?」
「それを見つけるのも仕事のうちだ。まあ、巡回中の者が見つけたら、教えるくらいはしてやる」
「は、頼りになるな。それで期限は?」
「そうだな、お前たちがあきらめるまでだ」
「ハナから捕まえられないような言い方だな。アンタにとっては、俺達が捕まえようが捕まえられなかろうが、どちらでもいいのかもしれないけどな。ま、いいさ。じゃあ、作戦会議といこう。フィリーさんよ、少し外してくれないか。この部屋はしばらく借りるからな」
「いいだろう、大いに期待させてもらおうか」
 部屋を出て行く際にもフィリーは嫌味を言うことを忘れなかった。ドアが閉じられたのを確認すると、火浦は先程から黙ったままのファクトの方を向いた。
「さて、まずはアンタが知っている範囲でいいからカードのことについて聞かせてもらおうか」
 こうして火浦とファクトは『カード』と呼ばれる盗賊を捕らえるため、協力することとなった。

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