第五章 胎動−蠢く阿修羅

第五話 遭遇

夜のファーン王国。ローレンス、火浦、ファクトの三人は王宮の外にいた。もちろんカードと呼ばれる盗賊を捕らえるためである。
「さて、どういう風に分かれる?」
(二ヶ所を見張るのに三人では中途半端だ。せめてもう一人欲しいな)
 ファクトの問いに対してローレンスはそう考えた。
「よし、じゃあ君達二人がまずは二手に分かれてよ。僕はどっちかについて行くから」
 そう言われ、火浦は王宮北西の地点、そしてファクトは南の地点を担当することになった。
「じゃあ僕はファクトと同じ所に行くよ。悪いけど火浦は一人で言ってくれるかい?」
「俺は別に構わない」
「じゃ、よろしく」
 ローレンスが南を選んだのには理由があった。もちろん火浦よりファクトと一緒にいる方がいいとか、そういったものではない。北西の地点よりも南の地点の方がカードが現れる確率が高いと考えていたからだ。もっともその根拠も、国を南北で二分した時にこれまでに北側の方が多く現れているからそろそろ南だろう、という程度のものでしかなく、そのため、二人には何故、南側を選んだのか敢えて説明をすることはなかった。
「で、どうする?二人一緒に回るのか、それとも別々なのか」
 目的地に着くと、ファクトが尋ねた。
「別々の方が効率いいでしょう。僕はこっちから回るから君はそっちをお願いね」
「ああ、分かった」
 こうしてローレンスとファクトはそれぞれに夜の街を歩き出した。この近辺は住宅の多い場所で、店の数自体は少ない。それでもまだ空いている店もある。そのほとんどは酒場であったが、それだけに歩いている人々もほろ酔いの上機嫌だった。
(夜とは言え、浅い時間じゃこんなものか)
 そんなことを考えながらもローレンスは道行く人々に対しての注意は怠らなかった。彼が注目したのは、酔っていない人だった。この時間に出歩く人々は、その多くは目的が酒である。素面の人間は何か別の目的があるはずだ。そう考えてローレンスは素面の人を見かける度にそれとなく後をつけて行った。しかしその全ては空振りだった。これから店に入る人か家に帰る人しかいなかった。
(ここじゃないのかなぁ。…でも、ま、必ずしも今日、カードが仕事をするとは限らないしな。根気良く続けるしかないか。仮に仕事をするのがここでなくても、それならそれで次の目標が絞りやすくなる。今はここを見回ることだな)
 そうして街を歩き回っているうちに、だんだんと閉店する店も出てきた。歩いている人の数も減り、この街もそろそろ完全に眠りにつく時間になろうとしているかのようだった。
(そう言えば見回りがいないなぁ)
 ふと、気が付いた。長い時間、夜の街を歩いていた割には、それらしき人を全く見かけなかった。
(中心部を離れるとこんなものなのかな?)
 辺りを見回して人影が全くないのを確認しながらローレンスは角を曲がった。その時、自分の目の前に一つの影が下りてきた。
「なっ、何だ?」
 思わず声を上げ、数歩、後退ってその影の方を見た。こちらには背を向けているが、どうやら人間らしい。横の家の屋根から飛び降りてきたようだ。脇には何か、小さな荷物を抱えている。ローレンスの叫び声に気が付いてか、その人影はローレンスの方を向いた。
「ちっ」
 舌打ちしたその人影は、暗くて顔まではっきりとは見えなかった。
(もしかして、当り?)
 ローレンスが呼び止めようとした時には、その人影はすでに走り出していた。その後を追ってローレンスも走り出す。距離は一向には縮まらなかったが、開くこともなかった。ほぼ一定の距離を空けたまま後を追いかけながらも、ローレンスは相手を観察した。顔は見えないが、体はそれほど大きくはない。しかも細い。もしかしたら女かもしれない。特別に訓練でもしていなければ、格闘戦になったとしても取り押さえることぐらいはできるだろう。ただし、そのためには少なくとも相手に追いつかなくてはならない。そんなことを考えながら追いかけていると、その人影は十字路で左に曲がった。ローレンスも後を付いて曲がったが、そこには相手の人影は見えなかった。不思議に思って辺りを見回すと、相手は脇に立ち並ぶ家々の屋根の上を走っていた。
(ここまでか…)
 歯噛みしながらもローレンスはポケットから何かを取り出し、目を閉じて小声で呟いた。
(間に合えよ)
 姿が見えなくなるまでローレンスはその人影を見送ると、先程、ファクトと分かれた所まで戻った。そして見回りを終えて戻ってきたファクトに先程の出来事を報告すると、王宮へと帰って行った。

 通常、登陽では早馬や飛脚といった情報伝達手段しかない。そのため、陽京での出来事が大京へ伝わるには何日かの時間を要する。この度の天皇と太政大臣たる阿部の辞任も、読売によって大京の人々が知るようになったのは、その宣言が行われてから数日後のことであった。学術会を終えて帰国し、これまでの日常に戻った水瀬がそのことを知ったのも、やはり数日後の読売からであった。
水瀬はラードルールから帰国して以来、休みの日には開放庭園に行くようになっていた。もっともそれまでの資料館通いをやめたわけではなく、資料館に行く前、あるいはその帰りに寄るようになっていたのである。休みの日だけあって人は多いが、美しい植物と石庭や池などを見ることができる貴重な場所でもある。そろそろ暖かくなる季節でもあれば、これから様々な花が咲き始めてくるだろう。今日がその日ではないかと確認するかのように、彼は足繁く庭園に通っている。
(まだもうちょっとだな)
 園内を見回し、蕾の状況を確認しながら散歩する。これが今の彼にとっての楽しみの一つだった。以前の彼なら、花などに興味を持つことはなかった。しかしラードルールで見た植物が陽登のものとはいくぶん違っていたことに気がつき、以来、花に多少の関心を示すようになっていた。
(今日も人が多いな。…石庭の方へ行ってみるか)
 植物が多い場所に比べて石庭は人が少ない。だから水瀬は落ち着きたい時にはここへ来るのであった。特に今日は、庭園に来る途中で買った読売がある。『天皇が辞任した』という売り子の話を聞いて興味を惹かれて買ったものだ。まだ大京に伝わってきたばかりの情報らしく、あまり騒ぎにもなっていない。もしかしたら偽りの情報なのかもしれない。それをよく確かめるために、腰を据えて静かな場所でじっくりと読みたいと考えていたのだ。石庭に来てみると今日もまた、人がほとんどいない。しかしいつも座るベンチにはすでに先客があるらしく、一人、座っている人間がいる。後姿から察するに、女性らしい。五人ほど座ることができるベンチではあったが、座っているのが女性一人だとなんとなく座りづらい。かといってここにはほかにベンチはない。どうしたものかと思いながらベンチの側まで来た時、座っている人間が顔見知りであることに気が付いた。
「東山さん?」
 相手は東山明日香。将軍の娘にして水瀬の学友だ。
「水瀬君…」
 明日香は少し顔を上げて相手を確認すると、静かにそう呟いただけだった。学問所での元気な姿しか見たことのない水瀬にとって、それは違和感を覚えさせるには十分であった。
「どうかしたのか?元気がないようだが」
「ううん、なんでもないの」
 水瀬の方を見ることもなくそう答える彼女の表情は、どこか憂いを帯びているように見えた。元々、整った顔立ちである彼女がそんな様子を見せると、大抵の人間は心を奪われてしまう。普段は冷静な水瀬であってもそれは例外ではなかった。
「なんでもない、ということはないだろう。何かあったのか?相談に乗る、とまでは言えないが、話を聞くことぐらいは俺にもできるぞ」
 明日香も今度は水瀬の方を向いたが、黙ったままであった。水瀬がそれを見つめて言葉を待っていると、やがて彼女の瞳から涙がこぼれだした。水瀬は突然の出来事に驚き、
「どうした?」
としか言えなかった。明日香は大きな声を上げたり、嗚咽を漏らしたりするようなことはなかった。ただ涙を流しながら水瀬を見つめているだけだった。水瀬はどうすることもできず、彼女の顔を見つめ返して待ち続けた。やがて明日香は涙が溢れるまま、それを拭くこともせずに呟いた。
「お父様が、…亡くなったの」
 それを聞いた時、水瀬はその言葉の持つ重要性を半分も理解していなかった。彼が最初に感じたのは、ただ、一人の少女が父親を失ったことで悲しんでいる、ということだけだった。だが、彼が持っていた読売が手の間を滑り落ち、それに気を取られて目をやった瞬間、ことの重大さに気が付いた。
(将軍が亡くなった?天皇の辞任と関係があるのか?)
 今の明日香にそのようなことを聞くのは躊躇われたが、それでも水瀬は尋ねずにはいられなかった。
「一体、何時?」
「分からないわ。お父様は陽京に行っていたから。わたしもさっき、叔父様から聞かされたばかりで…」
 頭を振ってそう答える彼女の姿は痛々しかった。水瀬はこれ以上、何かを聞くのはあまりに気の毒だと思い、何も聞かなかった。
「お母様もお父様もいなくなってしまったわ。わたし、これからどうすればいいの?」
 このような状況など彼には経験がなく、また、人を慰めるための言葉も苦手な水瀬であったから、気の聞いたことなどは言えようはずもなかった。
「大丈夫だ。俺がついている」
 水瀬は彼女の両肩に手を置いてそう言った。もちろん『大丈夫』な根拠など何もないし、水瀬自身も彼女に何かをしてやれる訳でもない。ただ落ち着かせるために言っただけのことであった。
「うん、ありがとう」
 明日香は多少、気が晴れたらしく、微笑むとまではいかなかったが、安心したような表情を見せた。水瀬もその様子を見て安心した。しかし彼にとって明日香のことよりももっと気になることがあった。
(将軍が死に、天皇・太政大臣も辞任、か。この国はどうなってしまうんだ)

 天皇の辞任が大京の読売でも伝えられるようになった頃には、陽京ではすでに新しい天皇が即位していた。第一継承権を持つ沖宮皇子が白成天皇と名を改め、元号も弘和から元遠に改められた。急なことでもあったため即位式典も簡素なものであり、参列者も皇族関係者のみであった。本来であれば将軍や陽京守護職も招待されるはずであったが、例え簡略式の即位式典でなかったとしても、今回の式典にその両者が出席することはなかったであろう。それでも式典終了後には、各地から祝辞を携えた使節が陽京へと向かっていた。国内の大名、貴族、神殿関係者、豪商、職人組合代表は当然のこととして、隣の大国・会王朝や近隣諸国からも同様であった。
「ついに即位が宣言されたな。小早川、上皇の方はどうだ?」
 光明は新天皇即位の報を受けてすぐに小早川を呼び寄せていた。
「大筋では了承をいただけました。しかし、二つ、条件を付けてきました」
「それは?」
「一つは将軍の死を公表し光明様がその後継者として立つ、ということ。そしてもう一つは新天皇を能信皇子とすると」
「やはりな」
 光明は拳を固く握って額に当て、何やら考え込んでいた。小早川はそんな様子もお構いなしに自分の考えを話し始めた。
「閣下の死を公表し光明様が後継者になるということは民衆の支持と同情を得ることが狙いと思われます。また能信皇子を天皇とするということは、司月前天皇の系譜ではなく自分の直系を天皇としたいということでしょう。前天皇は上皇にとっては従兄弟の子ですから」
 小早川の言葉を聞いていないのか、光明は先程と同じ姿勢のまま考え込んでいたが、やがて呟くように言った。
「二つ目の条件はいいだろう。だが問題は一つ目だ」
「そうですね。閣下の不在を知れば起つ大名が多く出ましょう。下手をすれば登陽は再び以前の戦乱状態に戻ってしまいます。失礼ながら上皇は武家の野望というものを過小評価しておられる」
 幕府が樹立された際、当然、反将軍派の勢力もあった。それでも幕府が成り立ったのは、ひとえに将軍・東山光秀を反対勢力の大名達が恐れたからであった。逆に将軍がいなくなればその大名達を抑えておくことができなくなる。そのため幕府はこれまで将軍の死を公表していなかったのだった。
「おそらく阿部もそれを考えて公表しないのであろうな」
「そうですね。このままの状態で天皇だけを入れ替えて自分の都合の良いように政治を進めるつもりなのでしょう」
「…やはり民衆の支持よりも大名達をこのまま大人しくさせておくことの方が重要だな」
「しかし上皇の方はどうされます?」
「そうだな…。能信皇子を唯一の天皇とすることができた時にそうさせてもらう、ということで納得してもらうしかないな」
「なるほど。後は私の交渉次第、ということですか」
「そういうことだ。期待しているぞ」
 そう言って光明が指を鳴らすと、どこからともなく風魔が現れた。
「お呼びでございましょうか?」
「ああ。ちょっと近隣を回ってきて欲しいんだ。大京からの援軍が到着するまでには時間がかかるだろうからな」
 この陽京の周辺の大名は主に譜代で固められている。ただ、陽京に近いこともあって貴族との結びつきが薄くはない大名も多い。そこで光明は諸大名に念押しの意味を込めて風魔に援軍要請のために回らせようというのであった。
「分かりました。この辺りですと、播輪は除くとして喜山、岡江、それに佐森ぐらいでしょうか」
「ああ、そんなところだな。後は小早川が上皇を口説き落とせば、この宣言を出せる」
 光明は一通の封書を手にしてそう言った。それこそが新天皇への実質上の宣戦布告文であった。

 二体の魔神の襲撃から何とか逃げ出したクルセイダーズは、ファーン王国の北洋上にいた。魔神の追撃はなかったのでこのような北の果てまで逃げてくることはなかったのだが、万が一、また魔神からの攻撃があった場合に備えて、この世界の人口密集地からなるべく遠い場所に留まることを選んだのであった。
「あちらから攻撃を仕掛けてくるとは思わなかったな」
 ラナンはブリッジでコーヒーを飲みながら言った。
「エンジェルにとって確かに俺たちは目障りだろうが、自分達の活動を直接、邪魔されない限りは手を出して来ることはないと思っていたんだがな」
「そんなことはないんじゃないの?俺とマリエだっていきなり攻撃されたんだし」
 ラナンの言葉にペギラが反論した。
「そう言えばそうか。だが実際、二体同時となるとどうにもならんな」
「そうね。こっちにとって都合良く、一対多の戦闘ばかりができるとは限らないものね。むしろその逆になる可能性の方が高いわ。数は実際、向こうの方が多いんだし」
 ミーナも心配そうな顔をしている。ルノーは黙ったままであったが、何を考えているのかはラナンには大体分かった。ただ一人、ニナだけが会話には参加せず、何やらコンピューターをいじっている。マリエはまだ目覚めない。この状況を確認してラナンは思った。
(そろそろ潮時、か)
 ペギラとマリエは戻って来た。破損したモーターフィギュアの残骸は回収できなかったが、エンジェルに奪われた訳ではない。となれば一度、ラントに撤退するのが最善だと思ったのであった。
「ニアノさん、ちょっといいですかぁ?」
 先程までコンピューターで何か作業をしていたニナがラナンを呼んだ。ラナンはカップを手にしたままニナの側へと行った。
「何だ?」
 ニナはラナンの方を向こうともせずモニターを見つめたまま、しゃべり始めた。
「先程の二体の映像も撮っておいて、この間の魔神と一緒にTERIOSで分析していたんです。それで、ちょっと気が付いたことがありまして」
「ほう?」
 いつもの間延びした話し方とはまるで違う、はっきりとした口調と理知的な声にラナンのみならずその場にいた面々は驚いたが、ニナは皆のそんな様子は気にかけず、あたかもピアニストのような華麗な手つきでキーボードを叩いた。すると、ラナンがソロレシア帝国の上空で遭遇した魔神の映像が画面に映し出された。
「まず、この魔神の大きさに注目してください。ご覧の通り、魔神は通常のモーターフィギュアの三倍以上の大きさがあります。これはおそらく、フロートシステムを組み込んでいるためでしょう」
「だろうな。通常のサイズじゃ、とてもフロートシステムは動かせないからな」
「はい、その通りです。しかし機体が大きくなるということはそれだけ被弾率も上がるということです。そのため、装甲を厚くし、なおかつABFを付けているのでしょう」
「サイズを大きくした結果、フロートシステムとABFを使えるようになったのか、それともそれらを使うために大きくしたのか、どちらかは分からないがそんなところなんだろうな」
 ラナンが頷いたのを見ると、ニナは再びキーボードを叩き、映し出された魔神の映像をスローにした。それはちょうど、魔神がアルバードの動きに合わせて旋回する瞬間の動きであった。
「では次にこの切り返しの瞬間を見てください。スローにすると、あれほどの高速で動いていたにもかかわらず、体が全く流されていないことが分かります。それどころか、反対方向へ進み始める直前に一瞬たりとも止まることなく全く逆に方向転換をしています。慣性を無視した、不自然な動きです。こんな巨体で、しかもフロートシステムという、『飛ぶ』と言うより『浮く』ためのシステムで空中にいる機体がそんな動きができるなんて、普通じゃありません。おまけにこの魔神、体のどこにも姿勢制御用のバーニアらしきものが付いていません。こんな動き、通常では不可能です」
「不可能と言うが、しかし、事実やっているのだろう?否定するのではなく、その理由を考えるべきではないのか」
 ルノーは冷静に言った。しかしニナはその言葉に怒ることなくルノーと同様に冷静に答えた。
「もちろん、考えてあります。この三つの画像を見てください。それぞれ、ニアノさんとアクランさんが遭遇した魔神・ジグ、そして先程の二体の魔神の装甲です。これらはそれぞれ、鎧や鱗のような独特の形状をしていたり、色がすべて異なっています。が、これらは全て同じ素材から作られていると思われます」
「何だって?」
「表面素材をできる限り拡大して分析した結果です。この金属は密度が非常に低い、すなわち軽いのです。しかし、ご存知のように魔神の表面素材は非常に強固でした」
「密度が低いのに硬い…。そんな金属、あるのか?」
「そうか、オリハルコン!」
 後ろの方で黙ったまま聞いていたペギラが突然、大きな声を出した。その場に居合わせた者は驚き、皆、彼の方を振り返った。逆にペギラはその様子に驚いて一瞬、ひるんだ。そして自信なさ気に言った。
「…違った?」
「いえ、その通りです。さすがは元資材課ですね。ペギラさん以外の方はあまりご存じないかもしれませんが、オリハルコンというのは『浮く』金属です。しかも軽くて硬いのですが、熱を加えれば非常に加工しやすくなります。逆に言えば熱には弱いのですが、そのために熱線系の攻撃を無効化するABFを使っているのでしょう」
 ニナの回答を得てペギラは幾分、ほっとした様子であった。しかし、説明を聞いたルノーはニナに疑問を投げかけた。
「俺もオリハルコンのことはちょっと聞いたことがある。何でも超希少金属で採取量がえらく少ないから、軍の兵器積算単価表でも空欄になっているほどだとか。魔神を何体も作るほど手に入るとは思えないな」
「否定するのではなく、理由を考えたらいかがです?例えばこのボードにはオリハルコンが豊富にある、とか」
 ニナが微かに笑ってそう言うと、ルノーは渋い顔をして黙ってしまった。すると今度はミーナが質問した。
「あの、わたしオリハルコンって初めて聞くんだけど、『浮く』っていうのがちょっとよく分からないんだけど?」
「言葉通りですよ。空気と同じ重さなんです。だから空中で手を離せばずっとそこに浮いたままです。空に向かって投げれば推力がなくなった所でずっと留まっています」
 ミーナは首を傾げながら頷いた。
「何となく分かったわ。でもオリハルコンだけじゃ、あの動きの説明はつかないんじゃないかしら」
「ええ。ですからわたしは、魔法を使っているのではないかと思うんです」
「魔法って、この世界の?」
「そうです。ちょっといいですか」
 ニナはそう言うと、魔神がミサイルを発射している映像を映し出した。そしてTERIOSの機能の一つである『音声解析』の項目を選択し、起動させた。するとグラフィックイコライザーが映像の隣に表示され、様々な音域のグラフが上下する様子が映し出された。次にミーナは、映像の中のミサイルの部分をポインターで円を描くように囲った。するとイコライザーの内容が一新された。
「今、表示されているのがミサイル付近での音声です。イコライザーのこの部分を良く見てください。人間の可聴域ギリギリ外の部分、ここが非常に高くなっています」
「これがどうかしたのか?」
 ルノーの疑問を無視して、ニナは次に映像に何かのフィルターをかけた。するとミサイルの周辺が濃い赤に染まり、その赤はミサイルと共に移動していった。
「これは波長が長い光線を表示するフィルターです」
「赤外線、ってやつだね」
 ペギラが得意気に言った。
「ええ、そうです。波長が長ければ長いほど、赤は濃くなります。ご覧の通り、ミサイルの近辺には非常に波長の長い光線があることが分かります」
「で、これが何だと言うんだ?」
 ニナの説明にたまりかねてルノーは少し大きな声で言った。そんな様子とは裏腹にニナは落ち着いて答えた。
「これがたぶん、魔法が作用している時に起きる現象だと思います。これと同じように先程の魔神の方向転換の瞬間の映像にフィルターを掛けてイコライザーを表示してみます」
 ニナがコンピューターをいじると、映し出された魔神の周りは赤く染まり、イコライザーの可聴域外部分のグラフの値が非常に高くなっていた。
「この切り替えしの瞬間に魔法を使っていると思われます。たぶん、空気か重力を操る系統の。その効果を最大限に発揮するため、魔神にはオリハルコンが使われているのではないでしょうか」
 ニナの説明を聞いてミーナは大きく溜息をついた。
「大したものね。わたしもTERIOSは使えるけど、わたしじゃこんな発想は出なかったわね」
「たまたまです。ヘッドフォンで音声を聞いていたら、ちょっと何か変な音が聞こえたから気になったんですよ」
 ミーナは半ば呆れながらも感心した様子だった。
「あなたどういう耳してるの?…でもちょっと見直したわ。ね、ラナン」
 そう言ってミーナがラナンの方を見ると、ラナンはまだカップを手にしたまま何か考え込んでいる様子だった。
「ちょっと、どうしたのよ?」
 声を掛けられて気がついたらしく、ラナンは顔を上げて答えた。
「あ、いや、済まない。…そうだな。魔神のこともいくらか分かったな。そこでだ、いったん本部に戻ろうと思うんだ」
 いきなりそう切り出したので、誰もが鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。しかしラナンはお構いなしに続けた。
「ペギラとマリエは戻ってきた。魔神のこともいろいろと分かった。現状の戦力では魔神と戦うことも厳しいということも分かった。だから世連本部に戻って本格的な対応策を考えた方がいいと思うんだ」
 ラナンは反応を待った。一番最初に声を発したのはルノーだった。
「そうだな、その方がいいかもしれん」
 ミーナもちょっと考えたようだったが、
「分かったわ」
とだけ言った。ペギラも
「リーダーの決定に従うよ」
と答えた。以前にも戻ることを提案してルノーとミーナに反対されたが、今回は状況が違う。ペギラとマリエが戻って来たことでルノーもミーナも冷静に判断できるようになっているようだった。
「じゃ、そういうことだからよろしく頼むよ」
 ラナンはニナにそう言った。しかし彼女は困ったような顔をして下を向いてしまった。ラナンはその様子を見て不審に思ったが、あえて冗談交じりに尋ねた。
「なんだ、ボードに未練でもあるのか?」
 ニナは顔を上げて何か言いたそうにラナンの顔を見つめた。ラナンがニナの言葉を待っていると、やがてニナは目を逸らして横を向いたまま泣き出しそうな声で言った。
「ごめんなさぁい。さっきの魔神の攻撃で転送装置が壊れちゃったみたいなんですぅ」
 不意に元に戻ったニナのしゃべり方とその言葉の内容を聞き、ラナンは気が遠くなった。

前の話へ  本編目次へ戻る  ホームへ戻る  次の話へ