第六章 対立−二つの朝廷

第二話 目覚め

ライルはミュウと話をした日以来、出掛けることが少なくなっていた。家にいれば当然、父親から縁談の話をされる。だが彼はそれを避けて自室に篭り、使いの者が彼を呼びに来てもそれに応じなかった。これはもちろん、見合いなどする気はなかったということもあったが、人と会うことが苦痛に感じるようになっていたからでもあった。いや、それどころか何もする気にはなれない、抜け殻のような状態であった。しかし、何もしなければ却ってミュウのことを考えてしまう。だからと言って外に出る気にもなれない。そこでライルが選んだのは本を読むことであった。それも文学の類ではなく、政治・経済・軍事などの分野のものである。こういった内容のものは大局的な視点から物事を書き表しているため、「個人」の意識から離れることができるからであった。そうして数日が過ぎたある日のこと。父親である大公が自ら彼の私室を訪ねて来た。
「ライラック、ちょっといいか」
 これまで呼び出しをずっと無視してきたが、さすがに部屋まで来られては断れない。仕方なくドアを開けて父親を招き入れた。ライルが何も言わずに机に戻ると、大公は傍にあった椅子に座って話し始めた。
「ここのところ部屋に篭りっきりだが、何かあったのか」
「大したことじゃない。ただ一人になりたかっただけさ」
 この部屋は謁見の間とは違い二人しかいないため、言葉遣いに気を遣う必要はない。普通の親子の会話であった。とは言え、ライルの方は普通よりも幾分、つっけんどんではあったが、それは適当に流して早々に追っ払おうと考えていたためである。
「大したことないことはないだろう。外に出るのが好きなお前が一日中、家にいるのだからな。そもそも一人になりたいのなら、外に出た方が好都合のはずだ」
 さすがに父親だけあって、彼のことを良く分かっている。答えに困っていると、父親はいきなり話題を変えた。
「見合いの話だがな、先方が業を煮やして日取りを指定してきた。五日後だ」
「そんな、勝手に…」
 そこまで言ってからライルは考えた。
(…いや、それもいいかもしれないな。どうせあの娘のことは無理なんだ。悪くない女性だったら、そのまま娶ってさっさと跡を継いじまうか。ミュウでなければどうせ大差ないのだから)
「ああ、わかった」
 予期せぬ答えであったのか、大公は一瞬、言葉を失ったが、すぐに満面の笑みを浮かべて大きな声を上げた。
「そうかそうか。これでわしも安心だ」
 年甲斐もなくはしゃぐ父親とは対照的にライルはいたって冷静であった。そして本を手にして父親に告げた。
「もう、いいだろう。本が読みかけなんだ」
「何の本だ?」
 これで帰ってくれるかと思っていたのに、父親は立ち上がって近寄ってきた。少し苛立ちながらライルは答える。
「セレンド・レネアだよ」
「ほう、レネアの本か。どうやら本気のようだな」
 セレンド・レネアとは近年、注目されるようになった政治思想家の一人で、政治における人心掌握の重要性や大衆のコントロールの仕方などを著した人物である。そのような人物の本を読んでいたことと見合いを受けたことから大公は、息子が本気で自分の跡を継いでくれるように考えている、と受け止めたようであった。当のライルはと言えば当然、真剣にそのように考えていた訳ではなかったし、見合いを受けたのも半ばヤケになってのことであった。しかし本気で喜ぶ父親の姿を見て水を差すようなこともできず、ライルは黙っていた。
「勉強の邪魔になっては悪いな。わしももう戻るとするか。じゃあ、五日後、第一正装でだぞ」
 そう言い残して部屋を去る父親を見送った後、ライルは続きを読み始めた。しかし集中力が途切れてしまったのか、ちっとも頭に入ってこない。仕方がないので読むのをやめ、しおりを挟んで机の上に置くとベッドに寝転がった。
(俺もいよいよ大公になるのか?)
 そんなことを考えながら窓に目を向ける。そこには、ミュウに選んでもらったロディナの鉢植えがあった。買ってきてから毎日、水を遣るのを欠かしたことはない。しかしその作業は、彼にとっては苦行でもあった。その幾重にも折り重なった様々な形の葉を見る度に、彼女の声が、笑顔が、仕草が思い出されるからだ。だからと言って、彼のために選んでくれたこの鉢植えを処分できるはずもなかった。
(ミュウ、君は今、どうしている?俺の抱えている悩みが彼女と同じものだというのがせめてもの救いか。…俺は結局、解決できないままだが、彼女だけでも何とかならないだろうか)
 そうしてしばらく鉢植えを眺めていたが、やがて起き上がって呟いた。
「決めた」
(これが最後だ。もう一度、会いに行こう)
 決めるが早いか、ライルはすぐに着替え、屋敷を飛び出していた。店の前に着くと、彼は一度だけ深呼吸をして扉を開けた。広い店内を見回しミュウを探す。するとヒゲ面の店主と目が合った。ライルは一瞬、動きを止めたが、店主は静かに笑うと顔を左に向けた。ライルもつられて同じ方向を見ると、そこに彼女の姿があった。再び店主の方を見ると、彼は立ち上がって店の奥へと姿を消してしまった。緊張をほぐすように目を閉じて一呼吸すると、ライルはミュウの方へと歩いて行った。
「やあ」
 袋に入った種を選別していた彼女はライルに気が付き、手を止めて顔を上げて応えた。
「こんにちは。今日はどちらかへいらしていたのですか?」
 前回と違い、ライルは今回は騎士の平服を着ている。そんなライルの服装を見て、ミュウは何か用事で出掛けた帰りだと思ったのであろう。だがそれは彼自身の決意の表れであった。それでもさすがにレオドリア家を表す鷹の紋章が付いていないものを選んではいたが。
「今日は仕事はいつ終わるんだい?」
 相手の質問に答えもせずに彼は尋ねる。ミュウはちょっと戸惑った様子を見せたが、すぐにいつもの笑顔で答えた。
「この仕事が終われば、今日はもうおしまいです」
「そうか。じゃあ、その後、時間をもらってもいいかい?」
 なるべく普通に話すよう心掛けていたが、それでも声が上ずってしまうのが自分でも分かる。背中にはジットリと汗をかいている。ミュウが答えるまでには実際には数秒のことではあったが、ライルには非常に長く感じられた。
「はい」
「それじゃあ、この間の店で待っている」
 それだけ言うとライルは急ぎ足で店を出た。

通信を終えたラナンだが、彼はハッキリ言って困っていた。中佐には『君に任せる』と言われたが、どうすればいいのか思いつかなかったからである。帰ることは物理的にも状況的にも不可能。かと言って魔神を倒せるだけの自信はない。いや、それ以前に未だ魔神の居場所すら突き止めていない。これまでにチームとしては四体の魔神と遭遇したが、いずれもその撤退先を追跡することはできなかった。
「ラナン、何を考え込んでいるの?」
 ミーナが少し心配そうな顔で声を掛けてきた。そんな彼女の様子を見て、ラナンは笑顔で返した。
「もちろん君のことさ」
 ミーナは呆れた顔をして溜息をつく。そして無言のままラナンの傍から離れていった。
「おいおい」
 呼び止めるラナンの声に対して背を向けたままミーナは静かに答える。
「あなたリーダーなんでしょ。…こういう時ぐらいしっかりしてると思っていたのに」
(ちぇっ、リーダーだから気をつかって冗談を言ったってのに)
 心の中で不平をこぼしながら苦笑する彼に今度は先程から黙ったまま座っていたペギラが尋ねた。
「で、リーダー。これからどうするんだい?」
「ああ、そうだな…」
 少し考えてからラナンは答えた。
「まずはしばらく休んでいろ。その間に俺はニナと一緒に艦の総点検をする。他にイカれているところがあったら困るからな」
「ニナと一緒に、か」
 ペギラの呟きをラナンは聞き漏らさなかった。
「何か問題があるのか?」
「いやぁ、せっかくお休みでもニナが忙しいんじゃねぇ」
 ニナはその言葉に何の反応も示さず、代わりにラナンが答えた。
「代わってやろうか?」
「冗談。お言葉に甘えてゆっくり休ませてもらうよ。ルノーにもそう伝えておく」
 そう言うとペギラはブリッジを出て行った。
「じゃあ、わたしもしばらくゆっくりさせてもらうわ」
 続いてミーナもその場を去った。ミーナの後姿を見送るとラナンはニナの方へと向き直った。
「という訳で、君だけ休みなしで悪いんだけど、始めようか」
「それは構いませんけど、休まなくて大丈夫なんですか?」
「さっきまで寝てたから。それにこういう時は体を動かしていた方が気も紛れる。何か思いつくかもしれないしね」
「何かって、どういうことですか?」
 ラナンはつい口を滑らせてしまったことをちょっと後悔した。
「…いや、これからどうしようかと思ってね」
「何も考えていないんですか?」
「うん、まあ、そういうことだ。帰るに帰れなくなっちゃったしねぇ。艦の点検ってのも、ハッキリ言やあ、時間稼ぎさ。ま、一度、総点検しなきゃならないってのはホントだけどね」
「はあ、そうなんですか。みんなと相談する訳にはいかないんですか?」
「俺は一応はリーダーだからね。もちろん相談も必要だけど、自分で何の方針も持たないままで、って訳にもいかないのさ。『どうしたらいいのかわかりません。みなさんどうしましょう?』なんてこと言うリーダーを頼れると思うかい?」
 ニナにとってラナンの理屈は分かったような分からないようなものであった。
「そういうものなんですかね」
「リーダーとしてのあり方なんてのは人によるんだろうけど、俺達の場合はみんな、同年代だからね。そんな中でリーダーをやっていくには、みんなを導いていくことができることを示さなければならない。そういう訳でこうして何かを思いつくのを待っているって訳さ」
「相変わらずですね」
 不意に後ろで声がしたので、ラナンは振り返った。そこには医療ポッドで眠っているはずのマリエがいた。傍らではルノーが彼女を支えるように付き添っている。
「目が覚めたのか」
「ああ、ついさっきな」
 ルノーがそう答えるとマリエは頭を下げて元気な声で言った。
「ご心配をかけて申し訳ありませんでした」
 そして続けてニナの方を向いて笑いかけた。
「あなたがニナちゃんね。はじめまして、仲良くしましょ」
 そして椅子に座ると長い髪を後ろで束ねながら話し始めた。
「ニアノ先輩って、いっつもそうですね。行き当たりばったりで、思い付きで行動する。それでも上手くいっているんだから、ある意味スゴイですけどね」
「俺のことはいい。それより、ずいぶん長いこと意識がなかったが、大丈夫なのか?」
「さすがに寝たきりだったから、筋力は落ちちゃいましたけど、ほかは何ともないですよ。…あ、でも撃墜された前後のことはよく覚えていないんですけどね」
(意識の混濁どころか受け答えは以前と全く変わりがない。…あんなに長い間、昏睡状態だったのに何の後遺症もないとはな。そもそも何のきっかけもなくあの状態から目が覚めたというのも腑に落ちない。一体どういうことだ?)
 出発時と同様に快活な彼女の様子を見て安心した反面、疑問もあった。しかしそんな様子は表には出さず、彼自身も以前と同様に接した。
「そうか。まあ、無事に目が覚めて何よりだ。で、今の我々の状況は聞いているのか?」
「ルノーから聞きましたよ。大変だったみたいですね」
「そうか、ならいい。そういう訳だから、しばらく休んでいろ」
「そうですね。リハビリでもしてますよ。って言っても、乗る機体はないんですけどね」
「ああ、そうだったな。どうするかなぁ…」
「またいつも通り、何か思いついてください。じゃ、わたしも戻りますね」
「ちょっと待て」
 マリエが椅子から立ち上がると、ルノーは彼女の肩を抑えて再び座らせ、自分もその隣に座った。
「そう言えば以前、ペギラから魔神討伐の話を聞いた時に何か思いついたようだったが?」
 そう言われてラナンは腕を組んで考え込んだ。
「ああ、すっかり忘れていたよ。魔神を倒す方法が幾つかあるって話だったね」
「そうだ」
「そっかそっか、そんなのがあったっけな。じゃあ、それを元に色々と考えてみよう」
 肝心の内容を明らかにしないラナンを咎めるようにルノーは言った。
「おい、一体何を思いついたんだ?」
「ん、あの後、色々と分かったこともあるし、もうちょっと煮詰めてみるよ」
 さらに何か言おうとするルノーをマリエが制した。
「ダメよ、ルノー。ニアノ先輩ってもったいぶるの好きだから。こうなったら何も喋らないと思うわ」
「別にもったいぶってる訳じゃないさ。まあ、もうちょっと待ってくれよ」
 ルノーもあきらめたようで、椅子から立ち上がるとマリエの腕を取った。
「じゃあ、俺達もしばらく休ませてもらう。何かあったら知らせろよ」
 ルノーはそう言うとマリエと共にブリッジを後にした。

神楽を脅した後、幕府は急速に新天皇の体制を固めていった。まず能信皇子を皇居より洛那城へと連れ出し、すぐに河添上皇を後見人として即位させ、慶信天皇と名乗らせた。その後、阿部派、神楽派のいずれにも属さない貴族を中心に官職を与え、朝廷としての形を作ったのだった。ただ、両派閥を避けたために優秀な者は少ないことが、光明にとっては気がかりではあった。もちろん榊、京極といった有力ながらも中立にいる貴族に声をかけることも考えたが、それは小早川に止められた。
「有力であるが故に中立の立場を選んだ両者を引き込むことはたやすくはありません。彼らの出番は戦後です。決着がついたら、太政大臣以下、すべて首を挿げ替えましょう」
「確かに、この間の様子では現朝廷寄りとは到底言えないような態度ではあったが、現状では彼らは向こうの天皇の臣下ということになっている。立場上だけとは言え、彼らほどの貴族を敵に回したままというのは得策ではないのではないか?」
「動きませんよ、彼らは。戦になればどちらが勝つのかはわかっていますからね。それに、向こうにも閣下が亡くなったことを知っていて、その情報が外に漏れるのを防ぐ役目を持つ者がいた方が良いでしょう。もちろん、阿部がいますが、裏に徹している以上、表立っての行動は難しいでしょう。だからといって神楽にそれほどの器量があるとは思えません。それゆえ、阿部も神楽には閣下が亡くなったことを教えてはいなかったのでしょう」
「彼らがその役目を果たすと?」
「ええ。情報統制はしっかりとやってくれるでしょう。そしておそらく、それを功として新体制での要職を望むものと思われます」
「そして旧体制のままなら、今の座に居座る、か。貴族というのは狡すからい連中だな」
 光明の言葉に小早川は苦笑しながら答えた。
「まあ、そうおっしゃらないでください。確かに自分の身がかわいいというのもありますが、彼らとてこの登陽に混乱を再び戦乱の時代に戻したくはないというのも本音でしょう。そういう訳ですから、こちらとしてもここは彼らの望むように動いた方が良いでしょう」
 貴族を良く知る小早川にそう言うのだから間違いはないだろうと、光明はそれに従うことにした。考えようによっては思い通りに朝廷を操るためには、現時点ではむしろこの方が都合が良かったので、あまりそのことに固執する必要はないということもあった。それよりも光明の頭を悩ませている問題は別にあった。
「あとは父上の件だな」
そう、将軍の不在という問題である。各大名には『東山家』の名で書状を送ったが、実際に戦が始まれば将軍が姿を現さない訳にはいかない。もちろん、神楽からの返事によっては戦は起こらないが、裏に阿部がいるならば戦は免れ得ないだろう。少なくとも幕府方はそう考えていた。その時に将軍がいないことが分かれば、集った軍はそのまま幕府へと向かって来ることも考えられる。当然、将軍は大名達とずっと一緒にいるというわけではないが、少なくとも一回は面会せねばならない。それをどう乗り切るかが問題であった。
「何か良い方法はあるか?」
 光明はその場にいた者達に尋ねた。このような状況になっても光明達は情報の漏洩を恐れて他にはこの事実は知らせていなかった。そのため、翔は当然のこととして、この場には副将軍を除く三人しかいなかったのだが。
「難しいですね。影武者を立てるにしても、相応しい者がすぐに、しかも秘密裡に見つけられるかどうか…」
 智謀で知られた小早川もさすがにこの問題は扱いかねたようだった。
「そうだな。いっそのこと、面会などはせずに戦地へと直行させられれば良いのだが…」
「それは難しいでしょう。馳せ参じた大名へ労いの言葉もないというのでは、将軍の器が疑われます」
 南雲の言葉はもっともなものであり、それを聞いた全員はしばらくそのまま黙ってしまった。
「…いや、待てよ」
 沈黙を破ったのは小早川であった。
「大名と閣下の面会はなくても構わないでしょう」
「しかしそれでは…」
「そうだ、大名達も納得するまい」
 南雲や風魔が反論する中、光明は小早川の表情を見て尋ねた。
「何か考えがあるようだな?」
「何も労いの言葉は将軍からでなくとも構いません。大名達には陛下と面会していただき、上皇に労いの言葉を代弁してもらいましょう。当然その後、将軍との面会を望むでしょうが、すぐに戦地へと赴かなければならない状況にあれば、これは断ることができましょう。本来、この戦は『天皇のため』のものという名目で大名達には書状を送っているのですから、陛下からのお言葉のみで十分とも言えます」
 それを聞いて光明は少し考えてから答えた。
「なるほどな。しかし、ということは、大名達が到着するまでには開戦していなければならない、ということだな」
「必然的にそうなります。光明様は、神楽の返答を受けてから次の行動を、とお考えかと存じます。しかし、いずれ戦になるのならば、今、この時より兵を動かすのも一つの手です。皇居を囲み、宣言に基づく示威行動と見せかけるのです」
「なるほど。そうすれば兵を動かす理由も立つな。そして向こうからの返事があり次第、開戦ということか」
「はい。各大名は実際に挙兵をするのは神楽の正式な返事があってからになります。そうすれば、距離として一番近い喜山でさえも先程申し上げた通りに、陛下と面会する時間しかない、という状態にできます」
「ふむ…」
 光明はそう呟くと、小早川の意見に対し考えを巡らせ始めた。南雲も同様であった。そんな中で、風魔だけが疑問を投げかけた。
「しかしそれではいざ開戦、となった時に非常に不利な状況になりませんかな?示威行動として動かせるのは、せいぜいがこの陽京行で連れて来た五百ほど。大貴族の持つ護兵とはその数において比べるべくもないと考えますが」
 風魔の言葉に対し、小早川は少しも慌てることなく答えた。
「それは仕方がないでしょう。確かに、この陽京行で連れて来たのはほんの一部、護衛のための兵だけです。しかし、私も陽京を守る大名でもあれば、手勢は少なからずあります。それにこの戦、一度、負けてみせることを考えています」
「どういうことだ?」
 堪らず光明は尋ねた。落ち着いた様子であったが、南雲も風魔も同じ疑問を持ったであろう。その表情は怪訝に満ちていた。
「皇居近辺は大きな屋敷も多く、兵が動かしづらい場所でもあります。それに皇居を囲みそこで大規模な戦を行うということは、陽京の街に被害をもたらします。ですから、一度、兵を引き、私の軍と合流します。そうすればきっと、神楽は西の繰場砦へと移るでしょう。皇居近辺に被害を出したくないというのはあちらも同じでしょうから。それに、繰場砦の北には阿部のいる烏丸城があります。裏に阿部がいるのなら、必ず、そこを戦場とするでしょう」
「完璧じゃないか。そこまで考えているのなら、それでいいだろう」
 感心したように光明は言った。しかし光明の賛辞を受けても、小早川の表情は誇りに満ちたものとは程遠いものであった。
「ただ一点、この方法は、タイミングが非常に重要になってきます。援軍到着前までに砦での戦いを始めていなければ、戦場を移す前に軍議が必要となります。すなわちそれは、閣下の姿を見せなければならないということです」
「ああ、そうだな」
「しかしすでに砦での戦が始まっていれば、援軍が陛下の元から砦へと移動している間に、閣下は陛下をお守りするために洛那へと戻った、ということにできます。ところが逆にそれぞれの援軍の到着の日程にあまりに開きがありすぎると、今度は後発の大名に洛那で面会を求められるようになります」
「だがそれは、それぞれの大名の到着する日次第ということだろう?それは我々ではどうしようもない。運任せの部分だな」
「そうです。ですから私が考えたのは、最も遅く着いた大名を、上皇から総大将に任じてもらうことです。閣下が陛下をお守りするために砦を離れる将軍に代わって別の総大将を立てねばならなくなった、ということにすれば良いでしょう。総大将任命は、十分に戦場へと急かす理由にはなります」
「しかし最も遅く到着した者を総大将に、というのは他の大名が納得しますかな?」
 南雲は疑問を投げかけたが、小早川はすでに答えを用意していたかのように答えた。
「おそらく、距離からいって最後に到着するのは佐森でしょう。佐守は譜代の中でも古参であり、力もあります。となれば、喜山も岡江も従わざるを得ないでしょう。そして何より、これは勅命です。『天皇のために』集まった大名達がそれに逆らえようはずはありません」
 小早川の説明を一通り聞き、光明は納得した様子であった。南雲も風魔もそれ以上、疑問などは出さなかった。こうしてこの問題に対する幕府の対応は決定したのだった。

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