第八章 陰謀−芽吹く悪意

第二話 歩み始める者(1)

夜が明けると光明は小早川、芝田、仙斉、そして各部隊長を集めた。諸将を前にした光明は、一見、落ち着いた様子でその顔ぶれを見回した。しかし外見とは裏腹に、実際には緊張のために胸は高鳴り、冷や汗をかいていた。
今回の戦では光明は公式には職などは与えられていなかった。そのため、自分が将軍の息子であるから、皆、何も言わずに集まってくれたということは十分に分かっていた。それだけにここで上手く事を運ばなければ、父親の死が公のものとなった時、幕府が立ち行かなくなるであろうことは容易に想像できた。それ故、光明は強い覚悟と決意を持ってこの場に臨んでいた。
黙ったままそこに並ぶ人々の顔を見ていると、自分が皆に試されているような気がしてきた。光明は唾を飲み、大きく息をつくと口を開いた。
「皆の者、大義である。一晩休んで、いくらか疲れも取れたかと思う」
 そこで一度、言葉を切って諸将の顔をもう一度、見た。皆、真剣な眼差しで自分を見ている。集中する視線に怯みそうになる。しかしそれでは、今後のことを考えて敢えて上段からものを言った意味がなくなる。光明は平静を装って言葉を続けた。
「先に皇居にて戦闘を行った者、強行軍でこの地まで来た者、とこれまで皆、それぞれに大変な思いをしてきたことだろう。だが、これからこの戦はもっと厳しいものとなる。しかしこれは、幕府の存亡が懸かった重要な一戦でもある。そのことをよく肝に銘じてもらいたい」
 誰も言葉を発する者のない中で、ひとり喋り続けるのは、なかなかに精神的な疲労が伴う。張りつめたような空気の中、光明は慎重に言葉を選びながら話し続けた。
「昨日、小早川がこちらに到着した。この後、本隊も到着する手筈となっている。しかし幼い陛下を伴っての行軍ともなれば、その到着までにはまだいくばくかの日数を要するものと思われる。そこで、それまでの行動について定めたいと思う」
 そこまで話すと、諸将は各々、隣の者と小声で何かを話し始めた。にわかに変化してゆく空気に光明が戸惑っていると、仙斉が声を上げた。
「いくばくか、と仰られますが、見込みとしてはどのくらいになるのでしょうか?」
「まだ何とも言えませぬな。何しろ、陛下はまだ幼い。途中でどのような事態になるとも知れませんからな」
 光明に代わって小早川がそう答えたが、仙斉はその答えに不満のようであった。
「それでは行動を定めると言われても、どのような視点から考えていけば良いのか計りかねますなぁ」
「うむ、せめて長いか短いかだけでも予想できなくてはな」
 仙斉の隣に座っていた芝田も不満な顔をしていた。すると光明は、この時とばかりに声を発した。
「ではこうしよう。敵方は篭城戦の構えを見せている。定跡から言えば砦を包囲することだが、現状、こちらにそれだけの数はない。ならば迂闊に砦近くに陣は取らず、ここより南へ陣を敷きなおす。そして砦を牽制しつつ、本隊の到着を待つ」
 光明がそこまで言うとざわめきが起こった。しかし光明はそれを気にしないようにしながら先を続けた。
「砦からはさらに離れることとなるが、決して警戒を怠らず四方いずれの方向からの攻撃があっても即時、対応できるよう陣を整えておくように」
 それは相手の援軍を想定してのことであった。いくら敵方に援軍があることが分かっていても、砦に近い位置では援軍と砦からの軍との挟撃にあうことは目に見えている。そのため、砦から離れた位置へと移動するのであった。
「また、食料の守備には芝田殿にあたっていただく。今日、明日中に必ず攻撃があるはずだからそのつもりでいるように」
「しかし我々が砦から離れれば、糧食を狙うにしても危険が大きくなります。向こう方がそれだけの危険を冒してでも砦を出てくるとは思えません。そのように断言される根拠がおありなのですか?」
「河原崎の活躍を貴族共が黙って褒めるだけのはずがなかろう。必ず出てくる」
 仙斉の問いに対してはそう答えたが、これは昨晩、翔から話を聞いて決めたことであった。
 阿部はこの戦を通常の篭城戦に見せかけたい。そのためにはこの世界のセオリーに従って、食料を狙って見せる必要がある。それ故、近いうちに食料を狙って攻めてくるだろう。それは多少、幕府軍の陣が遠くなったからといって取り止められるものではない。幕府軍を撤退させない程度の襲撃が再びあるはずだ、というのが翔の考えであった。
 光明はその話を聞き入れ、そして芝田に名誉回復の機会を与えることにしたのだった。河原崎の軍とは違い、貴族が率いる軍であれば、例え疲弊していたとしても芝田の敵ではないという読みもあった。
「何か他に意見のある者は?」
 自信タップリの光明の様子を見て、それ以上は誰も何も言わなかった。
「よし、それでは早速、準備にかかるように」
 そしてその場は解散となった。全員が引き上げたのを確認すると、光明は他の者に見つからぬように陣の外で待っていた翔と風魔の元へと向かった。

 座って木にもたれかかっている翔と風魔の姿が見えると、光明は馬の速度を上げた。二人ともそれに気が付いたらしく、立ち上がると翔は手を振った。
「上手くいったか?」
 翔が馬を降りる光明にそう声を掛けると、光明は少し笑って答えた。
「多少、強引だったかもしれんがな」
「そうか、それは良かった」
 そう言うと翔は、視線を光明から逸らし、呟くように言った。
「あの…、この間は済まなかった」
 一瞬、光明は何を言われたのか分からないといった表情を見せたが、すぐに笑って答えた。
「ああ、気にするな。俺も悪かった。それより、しばらく何も食っていないんだろう?こんな物しかないが」
 そう言いながら光明は懐から握り飯を取り出すと二人に手渡した。
「ありがとうございます」
「そう言えばそうだった。ありがたく頂戴するよ」
 お礼を言いながら受け取る二人に、光明は笑いながら言った。
「よく味わって食えよ、貴重な食料なんだから」
「ああ、分かってるよ」
 翔も笑ってそれに応えた。

前の話へ  本編目次へ戻る  ホームへ戻る  次の話へ